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「私の自慢は無知である」が成功への鍵となる

こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。

 

本日は「私の自慢は無知である」というテーマ。

 

「私の自慢は無知である」というと、セルフトークが悪く、エフィカシーが低いように見えるかもしれません。

 

しかし、良いセルフトークとして、高いエフィカシーとしての「私の自慢は無知である」という場合があるのではないかという考察です。

 

多くの人は、無知であることに対して恥ずかしさや劣等感を感じるのではないでしょうか。

 

無知であることにより、人に馬鹿にされたりしたことがあるかもしれません。

 

無知はできるだけ、避けたい。なるべく多くの情報を手に入れて恥ずかしくないようにしたい。そう思うのもよく理解できます。

 

私自身、苫米地博士に師事し学び始めることにより、自分がどれだけ、無知であったかが浮き彫りになりました。

 

そして、過去の自分が恥ずかしくなりました。

 

気を取り直し、もっともっと学ばなければと思い学習していくと、一体、どこまで続くんじゃい!と言いたくなるような果てしない道が見えだします。

 

そりゃ、そうだ。世界的な大天才だから。

 

そこで、思ったのです。こりゃ、無知であることは恥ずかしいことでも何でもないや!と

 

スコトーマという概念を思い出してください。

 

我々は知っているものしか認識できない。

 

知っているもの以外はスコトーマに隠れてみることができない。という概念です。

 

無知であると認識する作業はスコトーマに隠れた世界を見るための儀式なのかもしれません。

 

「開け!ゴマ!」というやつです。

 

私は無知である。イコール私はスコトーマの存在に気づくことができるという無意識に対する働きかけになると思います。

 

無知であると認めるからこそ、知への欲求が湧いてくるのです。

 

知への欲求は、すなわち成功への欲求です。

 

成功への方法が見えてくるのです。

 

逆に言えば、私は知っているという態度がスコトーマを強化し、新しい自分になる妨げとなっているのではないでしょうか。

 

こう考えると「私の自慢は無知である」という言葉が最高に高いエフィカシーであり、最高のセルフトークであるように聞こえてきます。

 

その意味合いは私にはスコトーマがない!です。

 

目に映ったもの、耳に入る音、感じる空気、嗅ぐ匂い、全てを感じることができます。

 

悟りのようにも見えてきます。

 

悟りと言えば、お釈迦様でしょうか。

 

私たちはお釈迦様の元においては皆、無知です。

 

カッコつけて、知っているふりをするより、無知なことを受け入れて、超加速的に知っていることを増やしていきましょう。「私の自慢は無知である」と心の中で誇らしく思いましょう。(人に言う必要はないと思います。)

 

少なくとも、私はそう思うことにより、とても、楽しく成長しています。

 

Ancient Greece : Philosopher Writing