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戦争と差別のない世界とは⑧

戦争と差別のない世界を創るにはWANT TO文化を広げていく必要がある。

しかし現実社会は色々なWANT TOがある。二人以上の人が集まれば、WANT TOとWANT TOが衝突してしまうこともある。

一切れのピザを食べたい場合、相手も食べたければ衝突する。ピザなら分けることができるが、2人の男の子が1人の女の子を取り合う場合などは、大抵はどちらか一人しか希望はかなえられない。

世界には争いの火種は山のように存在しているので、火種が燃え盛らないように、考え、対話し、解決していかなければならない。

そのために最も重要な考え方がアプリオリ性の完全否定である。

アプリオリとは先験的などと訳される。演繹的証明の必要のない自明的な事柄。

わかりやすく言うと一神教における神の存在。だから神の絶対性などがアプリオリ性にあたる。

正義感の強い二人の人がいたとする。その正義の価値観が違うとする。二人はその正義の主張のために争いを始めるだろう。

1人がどんな場合でも絶対に人を殺してはいけないことが正義だったとする。1人は凶悪で残忍な殺人者に限り、殺すことは認めることが正義だったとする。お互いが正義の主張だからこそ折り合いをつけることが難しくなるだろう。

宗教はその教義の絶対性つまりはアプリオリ性を信じていることで成り立っている。宗教は複数あり、アプリオリ的に宗教を信じている人も複数いることになる。

そのアプリオリ的な信仰がぶつかり合うと止めることが出来ない究極の争いが生じる。それが戦争だ。

全ての戦争は宗教戦争といえるほど、戦争を引き起こすのはこの絶対的アプリオリ性の衝突である。

だからこそ戦争をなくすためには、アプリオリ性を考えていく必要がある。

仏教の教祖、釈迦が説いた思想は縁起の思想であり、アプリオリ性の完全否定といわれる。

アプリオリ性の完全否定とはこの世に絶対的な価値は存在しないという思想。

神がいたとしても神にもお父さんとお母さんがいる。そのお父さんとお母さんにもお父さんとお母さんがおり、永遠に終着点はないという思想。

ペットボトルがあっても、それは石油であり、分子であり、原子と分子であり、素粒子であり、量子であり、ひもの振動でありと物理的に見ていっても最終的に到達することができない。(物理学の帰結とも一致する)

(数学の世界でも不完全性定理によりこの世に絶対なものがないと証明されている。)

このアプリオリ性の完全否定の釈迦の縁起の思想を持つと先の人を殺すことは是か非かの問いも宗教の争いにも、解決の光を見出すことが出来るのではないかということだ。

この教えを聞いてから、人との意見の食い違いも自分が絶対的に正しいと思わないようになった。99パーセント正しいと思うことは多いが100パーセントではないと思うことができるようになった。

この1パーセントをしっかりと大切にすることが出来れば、争いはあっても戦争にはならないのではないか。

唯一絶対に正しいことがあるという思想の否定。

この世に唯一絶対なことなどないという思想。

戦争と差別のない世界を実現するためには必ず必要な思想だと思うのでアプリオリ性の完全否定はこれからも伝えていきたい。

 

 

 

 

 

戦争と差別のない世界とは⑦

私たちがお金を稼いでいる場をお金ピラミッド空間と呼んできた。今回は違う表現で同じ場を見ていく。

お金、地位、権力を目指す人々が集まり、構成する空間をお金ピラミッド空間と呼んだが、これは資本主義社会のことだ。

資本主義社会は競争社会。人々が競争をすることで社会が発展し、よくなると信じる(?)社会。

公共工事の入札にはよく携わっているが、指名競争入札や一般競争入札といった名目で通知が来る。

指名競争入札はあらかじめ発注者が選んだ業者の中で行われる入札であり、一般競争入札とは発注者が定めた資格を有していれば、参加することが出来る入札である。

いずれにしても、参加者が工事金額を入札し、一番の最低金額、もしくは最低制限価格を下回らない範囲での最低金額を入札した業者が受注できる仕組みであり、競争することが求められている。

競争することが最適であり、競争することこそが公平であると信じる仕組みのようだが、蓋をあけてみると全く公平にはならない。

競争すると勝者と敗者に分かれる。勝者は受注を得ると金銭的なメリットを得る。何回かこれを繰り返していくと金銭的メリットは設備投資や福利厚生の充実など会社の基盤を強くすることに使われる。すると勝者はそのメリットにより強者となっていき強者と弱者の溝はどんどんと広がっていく。

そこで公平を期すために業者同士で順番に受注しようとしてもそれを談合と呼び法的に禁止されている。

つまりは強者はますます強者となり、弱者はますます弱者となるのが資本主義という名の競争社会である。

この競争社会を受け入れて、その競争を勝ち残っていくことが人生であると思っている人が多いがそれで本当に個人個人は幸せになれるだろうか。

スポーツなどはそこに順位がつくので最たる例だ。先日のWBCでも日本が優勝し選手とともに誇らしい気持ちを共有した人が多いとは思うが優勝チーム以外全てのチームが敗者であり、優勝チーム以外の全ての選手が悔しい思いをしている。構造的にトップだけが喜び、トップ以外は悔しがる仕組みなのに世界中が熱狂し、とんでもない低い確率のトップになるために子供から大人までしのぎを削る。

そしてこのピラミッドを少しでも上にあがることこそが人生の目標であると信じ生きている。

私も子供のころからサッカーをしてきたので競争意識はマインドの深くに根付いていることを感じる。ちなみに私はサッカーが大好きで競争というより、楽しんでやっていた方だと思うがそれでも、レギュラーに選ばれたらうれしかったし、選抜に選ばれたらうれしかったし、チームが勝ち進んでいくとうれしかった。

しかし、コーチングを学んでからは資本主義という競争社会に疑問を持つようになった。

事実サッカーも子供のころと40歳を超えてからが一番楽しかったと思う。

楽しむという観点からは大人になるにつれ競争原理に従うようになり、サッカーが楽しいから勝つことが楽しいに変わってくる。

勝ち続けることができる選手はプロに行き、お金を稼ぐことが出来るようになる。

皆それにあこがれるようになり、競争に勝ち残ることこそが自分の夢であると思うようになる。

競争は人々を幸せにするのか。

ピラミッドのように頂点にいる人だけが幸せになり。それ以外は全て敗者の世界。

それは頂点になればよいが、全体としては幸せな社会とは呼べないと苫米地博士に教えてもらった。

今ではそう思う。

そして今では100人が99人の幸せを願う世界の方がよいと思う。

そんな世界に変えていきたい。

戦争と差別のない世界とは⑥

お金ピラミッド空間の中に閉じ込められた人はそのピラミッドで少しでも上に行くために人生の選択をする。しかし、本当に生きたい人生はその空間の外にあるかもしれない。そう感じている人は多くても、抜け出す行動を起こす人はまだまだ少ない。

ではなぜ私たちは抜け出さないのか。抜け出せないのか。

コーチングではスコトーマ(心理的盲点)の原理は必ず知ってもらう。

先生「目を閉じてみてください。あなたの慣れ親しんだその部屋の中にある赤いものをできるだけ多く、あげてみてください。」

生徒「うーん、1個・・・2個・・・かな?」

先生「では目を開けて赤いものを探してください。」

生徒「あーあれも、これも、またあれも。おーこんなに多くあるのか赤いものは!!」

先生「普段目の前にあっても重要でないものは見えないように脳は働くのですよ」

といった具合の実験をして知ってもらったりするスコトーマ。

赤が見えた状態をロックオンと呼び見えていない状態をロックアウトと呼ぶ

例えばお金を稼ぐことが最も大切であると信じている人はお金を稼ぐこと以外の大切なことが見えてなくなる。またはお金を貯めることが最も大切であると信じている人はお金を使う喜びが見えなくなっている。

人間関係でいえば、いったん好きになってしまうと嫌なところは見えなくなり、いいとこばかりが飛び込んでくる。逆にいったん嫌いになってしまうとどんないいところがあっても見えなくなってしまうといったもの。

例をあげればきりがないほど私たちはスコトーマだらけの世界を生きている。

このお金ピラミッド空間にはその頂点がある。そこに確かに特定の人が存在している。その特定の人と周辺の人たちの利益のために戦争と差別が引き起こされているのだが、このお金ピラミッド空間の中でその支配構造を受け入れている状態であれば、その外の世界がスコトーマとなって見えなくなる。戦争と差別のない世界も、個人個人が真に豊かな人生をおくる世界も見えなくなっている可能性があるのだ。

ここで最も重要で最も伝えたいことがある。

このお金ピラミッド空間以外を見えなくさせている力だ。

これが洗脳

このピラミッド空間だけを見させるために、私たちのマインドはありとあらゆる仕掛けを無防備に受けてしまっている。気づかずうちに仕掛けられている。

例をあげる。

テレビやインターネットコマーシャル

コマーシャルを見ていると宣伝している商品を買えば自分の悩みが解決されるような気になったことが誰でも一度はあるはずだ。そしてその商品を購入してから「なんだ、全然だめじゃん」とがっかりしたことも一度や二度では済まないかもしれない。車や家が欲しいと思ったきっかけもコマーシャルがきっかけかもしれない。

世間の常識

結婚して子供が出来ると多くの人が家を購入する。自らの生命時間を使った労働と引き換えにとんでもなく大きな買い物をする理由として、友達も買っているからといって納得したりする。みんながやっていることだから、常識だからといって、行動を決めていることはないだろうか。

または本当はやりたいと思っていたり、言いたいと思っていても、空気を読んでその衝動を抑え込んだりしたことはないだろうか。

マインドの機能にスコトーマがある。そのスコトーマを利用して私たちはありとあらゆるところで洗脳をうけている。お金と権力の支配構造の中で生きている私たちはその支配構造を維持するためのものだけが見えており個人個人の真の幸せが見えなくなってはいないだろうかということが最も重要だと思い伝えたいことなのだ。

戦争と差別をなくすためには一人一人が覚醒しなければならないと思っている。

覚醒とは幸せに生きるということだ。自分のやりたいことをやりたいだけやる。

自分の好きな人と好きなだけ楽しむ。そして夢を見て、叶えていくことだ。

お金ピラミッド空間の中で夢を見て叶えるのもいいのだが、それは支配構造を維持したい人たちの夢であり、私たちの本当の夢ではないのではないか。

戦争と差別をなくすとは一人一人が洗脳から解放され、自由に自分の人生を選択することができ、満たされている状態であるからこそ利他的なゴールを持つことが出来る。

私たちは何者にも依らない自由な心で他者の利益を最優先にすることを喜びとする生き物である。

 

 

 

 

 

戦争と差別のない世界とは⑤

戦争のない世界には通貨発行権者の思惑を読み解き圧倒的多数の私たちがたちあがらなければならない。

通貨発行権者はその権力の食指を様々な方面に伸ばし、金融資本家やグローバル企業を味方にその権力を行使し支配を広げている。

その傘下に政府や地方公共団体や大企業も存在する。中小企業もその傘下に位置するわけだから、つまりは私たちは通貨発行権者を頂点とする巨大なピラミッドの傘下のどこかに位置することになっている。それは経済というお金の世界を支配されているということ。

私たちは現代ではお金抜きでは生きられない。

通貨発行権者を頂点とするピラミッドの傘下にいる私たちが立ち上がっても直属の上司や直属の取引先にたたかれてしまうというこでもある。

コーチングでWANT TOで生きればいいのかとうれしく思ったのも束の間、私たちはこの経済のピラミッドの中で身動きできなくさせられていることに気付く。

このピラミッドは生易しいものではない。

どこまでも果てしなく続くお金ピラミッド空間なのだ。

出ようと思っても、ご飯を食べるためのお金が必要だと思ったときにはもうこのお金ピラミッド空間の中に引きずり戻される。

いい服が欲しいなと思ったときには引きずり戻される。

かっこいい車が欲しいと思ったときにも引きずり戻される。

きれいないい家が欲しいと思ったときにも引きずり戻される。

そして私たちの命でもある生命時間と引き換えに物を手に入れこのお金ピラミッド空間の中で奴隷さながらの人生を生きることを受け入れてしまうのだ。

このピラミッド空間の中でより良い世界のために立ち上がることは難しい。立ち上がっても、上司や取引先にわかったから、座りなさい。と言われてしぶしぶ引き下がるのがオチだ。

先ほどは圧倒的多数といったが現実、圧倒的多数はチーム通貨発行権者の一員でもある。だから世界は通貨発行権者を頂点としたピラミッドが崩れるどころかますますと拡大しており、安定しているのである。

このピラミッドの仕組みは上に行けば行くほど権力を有し、下に行けば行くほど権力が無くなり隷属化しなければならない構造となっている。

ピラミッドの下の方が人数は多いが、権力が無いゆえに声が通らない構造ともいえる。

政治家は本来、この下々の声を反映しそして制度化し、暮らしやすい世界を創ることがその役割のはずが、ピラミッドの上の権力を欲しがるだけの人たちがその多数を占めていることが世界がよくならない要因でもあると思う。

このようにみると政治家を選ぶという投票行動はとても重要なことであるので付け加えておく。

お金ピラミッドの権力構造は私たちのマインドの中に深く刻まれ、私たちの行動規範ともなっている。このピラミッドをより上に駆け上がることが人生のゴールであると思う人は多い。

個人がより強い権力をもつというゴールはこのピラミッドの中にある限られたパイの争奪戦でもある。私が手に入れると誰かが手に入れることができないもの。誰かが手に入れると私が脱落してしまうものである。

私に権力をください。きっと皆さんのために行動しますから。という人もいるがとても怪しい。

こんなピラミッド構造の中を生きる私たちが戦争をとめることが出来るのか?

特定の誰かの利権拡大のために戦争が引き起こされそうになった時にみんなでちょっと待ったといえる世界にどうすればよいのか。

圧倒的大多数の人がこのピラミッド空間のいいなりになっていては無理だ。

ただ、このお金ピラミッド空間の外に出てしまえば可能性が広がる。

だからこそこのピラミッド空間だけに縛られるのではなく、高い抽象度でこの空間を俯瞰できる人が圧倒的大多数にならなければならない。

通貨発行権者VS私たちの構図をつくらなければなならい。

私たちの人生のゴールは趣味、職業、健康、ファイナンス、生涯学習、地域貢献、社会貢献、家族など多岐に及ぶ。これらのゴールを満遍なく達成していくことが幸せに生きるということ。

お金ピラミッド空間はファイナンスのことであり、それだけが人生のゴールではないのである。

お金は便利だけど、あくまでも手段、必要な時に必要な分だけあれば十分で自分の人生のゴールにはほとんど入ってこない。

この抽象度になると私たちは権力者の言いなりにならずに対等に渡り合えるのではないか。

多岐にわたるゴールを達成していくことは抽象度を上げていくことでもある。

抽象度をあげてみんなでその戦争ちょっと待ったといいたい。

 

戦争と差別のない世界とは④

戦争と差別のない世界を実現するために知っておかなければならない事実がある。この事実を知らなくてはどんなプランも机上の空論となる。

全世界の人々がWANT TOで生きても戦争は起きる。

それが私たちが生きている世界の現実。

残念ながら、私たちが生きている世界にはWANT TOで戦争を引き起こしている人たちがいるのだ。

このことを理解するためには、お金とは何かを知らなくてはいけない。

お金にはパワーがある。

自分のところに目もくらむようなお金が舞い込むことを想像してみてほしい。欲しいものが全て買える世界、一生働かず遊んで暮らせる世界。

これを想像してうれしくならない人はほとんどいない。世界中のほとんどの人が同じ感情を抱く。そんな存在はお金をおいて他には見当たらないのではないだろうか。

どんな絶世の美女といってもつきあいたいと思う人は男に限るし、男が好きな人男もいれば、いや自分の彼女が最高と思う人もいる。

すごい豪華なお城でも、家族と距離が遠いからそれはいいや、とか広すぎて落ち着かないなどと人によってそれぞれ違う。しかしお金は全世界共通で誰もが欲しがるものといっても過言ではないと思う。そんな存在などお金以外ないと思うのだ。

ではそのお金はどうやって作られているのか。誰が作っているのか。

当然各国の中央銀行が経済状況を伺いながらマネーサプライを決めている。

政府機関が公的に通貨を発行していると信じている。

しかし、真実はそうはなっていない。

通貨を発行する権限を通貨発行権と呼ぶが通貨発行権はごく一部の家族単位で数えられるような人たちが独占している。

これは私たちには知らされていない驚くべき事実だ。

もし、そんな馬鹿なと思うのであれば一度徹底的に調べてほしい。数多くの書籍がその事実を裏付けている。

通貨発行権はすごい。すごいパワーだ。

世界のほぼすべての人が欲しがるお金を刷る権利だ。その権利を手中におさめれば一体どんな権力を手にするのだろうか。

歴史的にもこの通貨発行権をめぐる争いは壮絶であったようだ。

そして今、この通貨発行権を持っている人たちはこの通貨発行権を行使して色々なことを仕掛けてきている。

それは経済の好不況と戦争。

経済の不況をあえて作り出し、人々のマインドを不安定にさせて、戦争へと導く。戦争は通貨発行権を持っている人たちとその周りの人たちがあらゆる権利とお金を手に入れるための手段なのである。そして、最終的には自分たちを頂点とした巨大な一つの世界秩序を作り上げようとしている。

戦争は起こってしまうのではなく、人為的に起こされている。

もちろんその中でそれに抵抗する人たちもいただろう。もしかしたら、抵抗する人たちのおかげでせずに済んだ戦争もあったかもしれない。がしかし、人類の歴史上大きな戦争が何度も起こっているのは事実だ。

人類の構成上、戦争で得をする人とはごく一部なはず。圧倒的多数が戦争などのぞんではいないはずだ。

通貨発行権はすごいパワーだが、言いなりにはなりたくない。

通貨発行権者の仕掛けを読み解くために知識をつけたい。

通貨発行権者から私たち(民)の持つべき権利を取り戻したい。

そう思う人たちが増えなければならない。元々私たちは圧倒的多数だ。圧倒的多数が通貨発行権者に対抗できるパワーとなる。圧倒的多数が立ち上がることだけが戦争を止める方法だと思っている。

 

 

戦争と差別のない世界とは③

戦争と差別のない世界とは100人の人がいた場合100人の人が99人の人の幸せを願い行動する世界であり、全ての人が利己的な抽象度から利他的な抽象度へと移行していくことが必要である。

では、どうすれば利己的な抽象度から抜け出せるのか?

その答えがWANT TOである。

利他的な生き方とは自己犠牲だと思ってしまうかもしれないが決してそうではない。利他的な生き方とは個人が最も幸福感を得られる生き方である。

つまり、全ての人が不幸よりも幸福を目指しているだろうから個人も幸福だし、他の全ての人も幸福になるのが利他的な生き方の終着点である。

そのためには個人が人のために活動できるエネルギーが必要だ。

そのエネルギーがWANT TOということ。

私たちは、強制されることが大嫌い。しなければいけないと思うことが大嫌い。

しかし、現実は子供のころから親や教師に勉強させられたり、運動させられたり、絵を描かされたり、字を書かさせれたり、話し合わされたり、遊ばされたり、付き添わされたり、しなければならないことを黙って従うことが善と教え込まれて育っている。

HAVE TOが善だと思って生きている。大人になって企業活動に関わるようになっても言われたことを文句を言わずやることが社会人だと思い込んでいる人もまだ多い。

HAVE TOで生きると人の足を引っ張ったり、人に嫉妬したり、悪口や陰口を言ったりとネガティブな感情が増幅する。

HAVE TOでは決して利他的な生き方にはつながらない。人と比べて自分だけがよくなりたいと思うようにしかならない。

対してWANT TOは人に止められてもやりたいことであり、しているだけで幸せなのであり、エネルギーがいくらでも湧き上がるものである。

個人が100パーセントWANT TO、HAVE TOは0パーセントとなって最高にハッピーな状態であるからこそ利他的な生き方を選択することができる。

つまり、戦争と差別のない世界とは一人一人の100パーセントWANT TOの基礎の上に成り立つ世界である。

一ミリでもHAVE TOがあってはいけない。一ミリのHAVE TOがウイルスのように私たちの心で広がると全体に広がっていく。社会で争いを引き起こしていく。HAVE TOは完全排除。

100パーセントWANT TOが戦争と差別をなくしていく。

確かに個人のWANT TOから戦争と差別がない世界に到達するまでには遥かに長い道のりがあるだろう。

しかし、個人のWANT TO無くして戦争と差別はなくならない。

私たちがまず出来ることは人生の中から一切のHAVE TOを無くすこと。100パーセントWANT TOで生きることである。

 

戦争と差別のない世界とは②

戦争と差別ない世界を創るには人々のマインドが変わらなければならない。

利他的に変わらなければならない。

ただどうすれば利他的に変わるのだろう?

歴史的に著名な識者も平和な世界を目指してアイデアを出してきた。または歴史的な英雄の思想哲学を引き継いでエバンジェリストとして活動してきた。しかし、現状をみるとことごとく、人々の煩悩を焚きつけて隷属化させる勢力に押されて苦渋をなめてきているように見える。

このまま、我々の社会は利己的な争いの社会から抜け出せないのか。

または戦争と差別のない世界を希求する一般市民の声はその社会を作り出せないのか。

その答えはコーチングであると思っている。

恐らく多くの人はコーチングと戦争と差別のない世界とは繋がらないのではないか。

コーチングは個人のゴールを実現する方法である。

しかし、その個人のゴールを実現する先には必ず人類のゴールを実現することとつながっていく。

これを抽象度という。

私たちはもともと繋がっている。

些細な争いごとで人を殺していいわけがない。自分だって殺されたくないのと同様に隣の人だって殺されたくない。それは生きている人間であれば同じはずだ。

遠く離れた違う人種も人間だ。自分が殺されたくないのであれば、違う人種の人間だって殺されたくない。自分の子供が殺されたくないのであれば、遠く離れた違う人種も自分の子供は殺されたくない。

抽象度があれば、人は誰だって殺しあうほどの争いは望まない。

それなのに、現実は利己的な利益のために戦争が起こっている。

利己的な利益とは誰の利益かという重要なテーマともつながるがここでは抽象度を考えたい。

コーチングは自己実現はもちろんのこと、加えて戦争と差別をなくす方法論である。

お金持ちになるのもいいが、世の中には食べ物が不足している人もいる。

おいしいものを食べるのもいいが、殺されている動物もいる。

一番になるのもいいが、最下位で自信を失う人もいる。

広い新しい家に住むのもいいが、家がない人もいる。

利己的自己実現の裏側で普段気にもかけない存在がその影響を受けていたりするものだ。

コーチングにおいて抽象度の概念が無いのは危険だと思う。

コーチングに抽象度の概念がはいっていなければ、戦争と差別をますます助長することにならないだろうかと心配してしまう。

コーチングを自己実現だけに使うとその大切な本質を切り離して、金もうけに走る集団に変わるのではないか。

煩悩の集まりは激しいハリケーンのように人類にとって大切なものを吹き飛ばす。

一人でも多くの人が抽象度の階段を上り、利他的な生き方を率先して人々を先導しなければならない。

コーチングは自己実現とともに抽象度をあげることは必須テーマである。

コーチングの中に抽象度の概念があるからこそコーチングによって戦争と差別のない世界を目指すことができる。

 

戦争と差別のない世界とは①

戦争のない平和な世界とは100人の人がいた場合に、100人が99人の人の幸せを願い行動する世界。

全ての人が利己的な生き方ではなく利他的な生き方を選択するということ。

利他的な生き方をするのは、一人一人の選択にかかってくる。

一人一人の選択はマインドの中での出来事だ。

今、戦争が起こっているのは人々のマインドが利他的な選択をおこなえていないからとなる。

だからこそ人々のマインドを変えることが戦争のない平和な世界をつくるためには重要な要因となる。

しかし、利己的なマインドと利他的なマインドはどちらが魅力的だろう。

人は魅力のある方に引き寄せられるから利己的なマインドから実る果実が魅力的であれば利他的なマインドにはならない。

果実。果実とは何か。

お金、地位、権力が代表格。

お金、地位、権力はシェアするものではなく奪い合うものとして機能しているように思う。

人々がお金、地位、権力に魅力を感じ、利己的な選択をしていく連鎖が戦争に向かう歯車を回していく。

もう一度

100人の人が99人の人の幸せを願い行動する世界。

これが戦争のない平和な世界

この世界に行くためにはお金、地位、権力のような果実に魅力を感じるマインドを変える必要がある。

変えなければ、永遠に戦争のない世界はやってこない。

お金、地位、権力よりも99人の幸せに魅力を感じる人が増えなければならない。

または99人の幸せのためのお金、地位、権力でなければならない。

利己的な人がお金、地位、権力を奪いあう世界から、自分以外の人のためにお金を使い、自分以外の人のために責任を背負い、自分以外の人のために自分の役割を担う。

そんな世界にしていきたい。

些細な不満に目をそらさない

こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ山本敦志です。

前回はゴール設定が見つからない場合は現状の不満を考えてみてくださいと述べました。

今回はその不満をさらに細かく見ていくことにチャレンジしてみましょう。

実は本当の不満はそんな些細なところからみつかるかもしれません。

例えばの話をしましょう。まずは質問です。

自分の服装に満足していますか。

毎日私らしい服装をしていますか。

服装に興味ある人と興味ない人がいるので一概に説明するのは難しいのですが、特に興味ないという人に考えてみてほしいです。

本当にその色で満足していますか。

本当にその素材で満足していますか。

本当にその形で満足していますか。

こう問われると服装に興味がないという人も意外にこだわっている自分がいることに気付くのではないでしょうか。

この辺まではこだわるけど、この辺まででいい

そんな感じではないですか。

これが現状のコンフォートゾーンです。

では次の質問!なぜもっとこだわらないのですか。

本当に興味がないのでしょうか。

私たちは3歳から5歳までくらいの間に親や教師などから取り入れた情動記憶をベースにして行動の価値判断を行っています。

些細な価値判断、この場合でいう服装にこだわるかこだわらないかは子供のころに決まってしまっているということになります。

親や周りをみて子供のころに決めた自己イメージが今でも続いているからこの辺まででいいという判断をしているのです。

なぜもっとこだわらないのですか。

と聞かれても

私はいいの!そんなもんなの!という根拠のない答えが出てきたりするのはこのようなマインドのカラクリがあるからといえるでしょう。

ですから、もう少し踏み込んでこう質問します。

自分の服装に心から満足していますか?

もちろんイエス!という人もいるでしょうが、その人は今回のメッセージは対象外として。

イエス!とは言い切れない人は今日から

待てよ、今まで着てみたかったけど恥ずかしいと思っていた服があるぞ!という服装にチャレンジしてみて欲しいのです。

思い込みや刷り込みは私たちの何気ない日常のなかにこそ潜んでいます。

コーチングは何もぶっとんだゴールを設定して、ぶっとんだ成功を手に入れることだけのアプローチではありません。

このような何気ない些細なコンフォートゾーンに気付いて些細な不満を感じることもとても重要なのです。

些細な不満を通じて、アパレルという色、質、形へこだわる巨大な産業への知見にも広がりますし、幸福追求の自由という憲法の空間への知見にも広がっていきます。

私たちのマインドを閉じ込めている大きな力を私たちの些細な判断を見つめていくことによりその力の正体を知り、超えていくことが出来るのです。

些細な不満に目をそらさず本当の自分の判断を見つけていってほしいと思います。

 

 

 

居心地はいいけど不満だらけのコンフォートゾーン

こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ山本敦志です。

今回はゴール設定のお手伝いをしようと思います。

ゴール設定ではいくつかの問題点があるのですが、中でもゴールが見つからないという問題の解決策を提供できればよいなと思います。

ゴールが見つからないということは現状の外が見えないか、見えても行きたくないかのどちらかでしょう。

現状の外のゴールは現状のコンフォートゾーンからは見えづらいし、現状の外なので居心地のよいコンフォートゾーンにいるのですから、行きたくないと思うのも当然かもしれませんね。

その時に視点を変えて、現状の不満を考えてみてください。

現状に満足していますか。

心から満足していますか。

この質問に対しては不満は色々あるよという答えになるのではないでしょうか。

現状への不満はとてもよいことです。なぜならゴールを見つけ出す最高のヒントになるからです。

現状の不満を今、あげていってみてください。

いくつあってもよいです。いやむしろ人生のあらゆる方面に対していくつでも不満をあげてみてください。

収入の不満、立場の不満、家族の不満、健康でないことへの不満、などなど

そして次にその不満が一切なくなる世界を想像してみてください。

想像できましたか。

想像したイメージは最高の人生を映し出していないですか。ゴールが見つからないという悩みがある場合は、現状のコンフォートゾーンが作り出している不満がなくなる世界をゴールにしてみるのがよいのです。

きっと素晴らしいゴールを見つけることができると思います。

ただこの時に注意してほしいのは、不満の対象は全て自分に向けるということです。自分以外の人や環境を変えることをゴールとするのではなく、自分を変えることをゴールにしてください。

収入の不満は会社への不満ではなく、自分のパフォーマンスへの不満とし、

立場の不満はその立場を与えた相手への不満ではなく、その立場に甘んじている自分への不満とし、

家族への不満も家族へ働きかける自分の影響への不満とし、

健康への不満も誰かに作られた体ではなく、自分で作った体であると認めそれも

自分への不満としてください。

全て自分のマインドがつくりだした投影が現状なのです。

ですから、現状の不満をしっかりと見据えるとおのずとゴールが見えてきます。

恐れず不満を抱きましょう。

そして勇気を持って全て自分が作り出していると受け入れましょう。

そうするとその不満のない世界がマインドの中にどんどん広がっていくはずです。

その世界をありありと臨場感を持って想像してみてください。

想像するだけでどんどんとそのゴールはあなたの方に近づいてきます。

不満を当たり前のこととして受け入れている現状のコンフォートゾーンの外へ飛び出し、今まで出会ったことのない私に会いに行きましょう。

現状のコンフォートゾーンは居心地こそよいのですが、蓋を開けてみると不満だらけなのです。現状のコンフォートゾーンに留まっていても不満はなくなりません。

だからこそ現状の外にゴールを設定するのです。

今ある不満を解消すべく、成長し、また新たな不満を感じ、その不満に取り組んでいく。

この道のりを歩んでいくことがハッピーということなのです。

ゴールが見つからないという場合は是非この方法を試してみてください。