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日別アーカイブ: 2023年3月30日

戦争と差別のない世界とは⑤

戦争のない世界には通貨発行権者の思惑を読み解き圧倒的多数の私たちがたちあがらなければならない。

通貨発行権者はその権力の食指を様々な方面に伸ばし、金融資本家やグローバル企業を味方にその権力を行使し支配を広げている。

その傘下に政府や地方公共団体や大企業も存在する。中小企業もその傘下に位置するわけだから、つまりは私たちは通貨発行権者を頂点とする巨大なピラミッドの傘下のどこかに位置することになっている。それは経済というお金の世界を支配されているということ。

私たちは現代ではお金抜きでは生きられない。

通貨発行権者を頂点とするピラミッドの傘下にいる私たちが立ち上がっても直属の上司や直属の取引先にたたかれてしまうというこでもある。

コーチングでWANT TOで生きればいいのかとうれしく思ったのも束の間、私たちはこの経済のピラミッドの中で身動きできなくさせられていることに気付く。

このピラミッドは生易しいものではない。

どこまでも果てしなく続くお金ピラミッド空間なのだ。

出ようと思っても、ご飯を食べるためのお金が必要だと思ったときにはもうこのお金ピラミッド空間の中に引きずり戻される。

いい服が欲しいなと思ったときには引きずり戻される。

かっこいい車が欲しいと思ったときにも引きずり戻される。

きれいないい家が欲しいと思ったときにも引きずり戻される。

そして私たちの命でもある生命時間と引き換えに物を手に入れこのお金ピラミッド空間の中で奴隷さながらの人生を生きることを受け入れてしまうのだ。

このピラミッド空間の中でより良い世界のために立ち上がることは難しい。立ち上がっても、上司や取引先にわかったから、座りなさい。と言われてしぶしぶ引き下がるのがオチだ。

先ほどは圧倒的多数といったが現実、圧倒的多数はチーム通貨発行権者の一員でもある。だから世界は通貨発行権者を頂点としたピラミッドが崩れるどころかますますと拡大しており、安定しているのである。

このピラミッドの仕組みは上に行けば行くほど権力を有し、下に行けば行くほど権力が無くなり隷属化しなければならない構造となっている。

ピラミッドの下の方が人数は多いが、権力が無いゆえに声が通らない構造ともいえる。

政治家は本来、この下々の声を反映しそして制度化し、暮らしやすい世界を創ることがその役割のはずが、ピラミッドの上の権力を欲しがるだけの人たちがその多数を占めていることが世界がよくならない要因でもあると思う。

このようにみると政治家を選ぶという投票行動はとても重要なことであるので付け加えておく。

お金ピラミッドの権力構造は私たちのマインドの中に深く刻まれ、私たちの行動規範ともなっている。このピラミッドをより上に駆け上がることが人生のゴールであると思う人は多い。

個人がより強い権力をもつというゴールはこのピラミッドの中にある限られたパイの争奪戦でもある。私が手に入れると誰かが手に入れることができないもの。誰かが手に入れると私が脱落してしまうものである。

私に権力をください。きっと皆さんのために行動しますから。という人もいるがとても怪しい。

こんなピラミッド構造の中を生きる私たちが戦争をとめることが出来るのか?

特定の誰かの利権拡大のために戦争が引き起こされそうになった時にみんなでちょっと待ったといえる世界にどうすればよいのか。

圧倒的大多数の人がこのピラミッド空間のいいなりになっていては無理だ。

ただ、このお金ピラミッド空間の外に出てしまえば可能性が広がる。

だからこそこのピラミッド空間だけに縛られるのではなく、高い抽象度でこの空間を俯瞰できる人が圧倒的大多数にならなければならない。

通貨発行権者VS私たちの構図をつくらなければなならい。

私たちの人生のゴールは趣味、職業、健康、ファイナンス、生涯学習、地域貢献、社会貢献、家族など多岐に及ぶ。これらのゴールを満遍なく達成していくことが幸せに生きるということ。

お金ピラミッド空間はファイナンスのことであり、それだけが人生のゴールではないのである。

お金は便利だけど、あくまでも手段、必要な時に必要な分だけあれば十分で自分の人生のゴールにはほとんど入ってこない。

この抽象度になると私たちは権力者の言いなりにならずに対等に渡り合えるのではないか。

多岐にわたるゴールを達成していくことは抽象度を上げていくことでもある。

抽象度をあげてみんなでその戦争ちょっと待ったといいたい。

 

戦争と差別のない世界とは④

戦争と差別のない世界を実現するために知っておかなければならない事実がある。この事実を知らなくてはどんなプランも机上の空論となる。

全世界の人々がWANT TOで生きても戦争は起きる。

それが私たちが生きている世界の現実。

残念ながら、私たちが生きている世界にはWANT TOで戦争を引き起こしている人たちがいるのだ。

このことを理解するためには、お金とは何かを知らなくてはいけない。

お金にはパワーがある。

自分のところに目もくらむようなお金が舞い込むことを想像してみてほしい。欲しいものが全て買える世界、一生働かず遊んで暮らせる世界。

これを想像してうれしくならない人はほとんどいない。世界中のほとんどの人が同じ感情を抱く。そんな存在はお金をおいて他には見当たらないのではないだろうか。

どんな絶世の美女といってもつきあいたいと思う人は男に限るし、男が好きな人男もいれば、いや自分の彼女が最高と思う人もいる。

すごい豪華なお城でも、家族と距離が遠いからそれはいいや、とか広すぎて落ち着かないなどと人によってそれぞれ違う。しかしお金は全世界共通で誰もが欲しがるものといっても過言ではないと思う。そんな存在などお金以外ないと思うのだ。

ではそのお金はどうやって作られているのか。誰が作っているのか。

当然各国の中央銀行が経済状況を伺いながらマネーサプライを決めている。

政府機関が公的に通貨を発行していると信じている。

しかし、真実はそうはなっていない。

通貨を発行する権限を通貨発行権と呼ぶが通貨発行権はごく一部の家族単位で数えられるような人たちが独占している。

これは私たちには知らされていない驚くべき事実だ。

もし、そんな馬鹿なと思うのであれば一度徹底的に調べてほしい。数多くの書籍がその事実を裏付けている。

通貨発行権はすごい。すごいパワーだ。

世界のほぼすべての人が欲しがるお金を刷る権利だ。その権利を手中におさめれば一体どんな権力を手にするのだろうか。

歴史的にもこの通貨発行権をめぐる争いは壮絶であったようだ。

そして今、この通貨発行権を持っている人たちはこの通貨発行権を行使して色々なことを仕掛けてきている。

それは経済の好不況と戦争。

経済の不況をあえて作り出し、人々のマインドを不安定にさせて、戦争へと導く。戦争は通貨発行権を持っている人たちとその周りの人たちがあらゆる権利とお金を手に入れるための手段なのである。そして、最終的には自分たちを頂点とした巨大な一つの世界秩序を作り上げようとしている。

戦争は起こってしまうのではなく、人為的に起こされている。

もちろんその中でそれに抵抗する人たちもいただろう。もしかしたら、抵抗する人たちのおかげでせずに済んだ戦争もあったかもしれない。がしかし、人類の歴史上大きな戦争が何度も起こっているのは事実だ。

人類の構成上、戦争で得をする人とはごく一部なはず。圧倒的多数が戦争などのぞんではいないはずだ。

通貨発行権はすごいパワーだが、言いなりにはなりたくない。

通貨発行権者の仕掛けを読み解くために知識をつけたい。

通貨発行権者から私たち(民)の持つべき権利を取り戻したい。

そう思う人たちが増えなければならない。元々私たちは圧倒的多数だ。圧倒的多数が通貨発行権者に対抗できるパワーとなる。圧倒的多数が立ち上がることだけが戦争を止める方法だと思っている。

 

 

戦争と差別のない世界とは③

戦争と差別のない世界とは100人の人がいた場合100人の人が99人の人の幸せを願い行動する世界であり、全ての人が利己的な抽象度から利他的な抽象度へと移行していくことが必要である。

では、どうすれば利己的な抽象度から抜け出せるのか?

その答えがWANT TOである。

利他的な生き方とは自己犠牲だと思ってしまうかもしれないが決してそうではない。利他的な生き方とは個人が最も幸福感を得られる生き方である。

つまり、全ての人が不幸よりも幸福を目指しているだろうから個人も幸福だし、他の全ての人も幸福になるのが利他的な生き方の終着点である。

そのためには個人が人のために活動できるエネルギーが必要だ。

そのエネルギーがWANT TOということ。

私たちは、強制されることが大嫌い。しなければいけないと思うことが大嫌い。

しかし、現実は子供のころから親や教師に勉強させられたり、運動させられたり、絵を描かされたり、字を書かさせれたり、話し合わされたり、遊ばされたり、付き添わされたり、しなければならないことを黙って従うことが善と教え込まれて育っている。

HAVE TOが善だと思って生きている。大人になって企業活動に関わるようになっても言われたことを文句を言わずやることが社会人だと思い込んでいる人もまだ多い。

HAVE TOで生きると人の足を引っ張ったり、人に嫉妬したり、悪口や陰口を言ったりとネガティブな感情が増幅する。

HAVE TOでは決して利他的な生き方にはつながらない。人と比べて自分だけがよくなりたいと思うようにしかならない。

対してWANT TOは人に止められてもやりたいことであり、しているだけで幸せなのであり、エネルギーがいくらでも湧き上がるものである。

個人が100パーセントWANT TO、HAVE TOは0パーセントとなって最高にハッピーな状態であるからこそ利他的な生き方を選択することができる。

つまり、戦争と差別のない世界とは一人一人の100パーセントWANT TOの基礎の上に成り立つ世界である。

一ミリでもHAVE TOがあってはいけない。一ミリのHAVE TOがウイルスのように私たちの心で広がると全体に広がっていく。社会で争いを引き起こしていく。HAVE TOは完全排除。

100パーセントWANT TOが戦争と差別をなくしていく。

確かに個人のWANT TOから戦争と差別がない世界に到達するまでには遥かに長い道のりがあるだろう。

しかし、個人のWANT TO無くして戦争と差別はなくならない。

私たちがまず出来ることは人生の中から一切のHAVE TOを無くすこと。100パーセントWANT TOで生きることである。