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苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
コーチングとは別人になってもらうことである。
これを聞いて今いち、ピンとこない人がいるかもしれない。がしかし、そういうことである。
ウィキペディアより、コーチングの基本と謳われている部分を抜粋する。
これがなければ学習効果は決して上がらない。 自ら学ぶ、自ら問題を解決する、という姿勢を作り出さなければならない。
すべての人間に個性があり、理解が早い人も遅い人もいる。個人の能力をそれぞれ伸ばすためには、同じ課題を与えても結果は異なることを前提とし、個人に対する観察、把握、分析が必須である。
表情や動作などの非言語によるコミュニケーションを含め、コーチングを行う上での基本。 自分の主張だけをしたり、あらかじめ用意されたテキストや質問を読み上げるだけでは、コーチングにはならない。
コーチングを受ける側に、考えて自ら問題を解決する力をつけさせるのが、コーチングの最終的なゴールとなることを忘れてはならない。
らしい。
これらはコーチングをする上での具体的な方法論の話であり、コーチングの本質を表しているとは私は思わない。しかし、巷ではこれらの具体的な方法論が、まるでこれらこそがコーチングだと言わんばかりに独り歩きしているように感じる。本質が置き去りにされてしまえば、骨抜きにされたも同然だ。だからこそ今回は本質部分を強調して言いたいと思う。
なりたい私。
ゴールを達成している私とは
現状の私からすると完全な別人なのだ。
現状の私がずっと続いた場合の未来も含めて、現状という。現状という言葉には現在とその延長上の未来が含まれていると理解してほしい。
その現状から離れて、違う時間軸を作り出す。そしてそちら側に現在の意志の力でたどり着くことが本来のコーチングが目指す意味なのである。
それは現状の私が続いた場合になる私とは、全くの別人なのだ。
別人になるためにゴールを設定する。そんな視点を入れるとまたひとつスコトーマが外れるのではないだろうか。
ゴールを達成することにはもちろん価値があるが、別人になることにも同じ価値がある。
しかしだ。ゴールを達成したいかと問われれば、イエスと答えるだろうが、別人になりたいかと問われればあなたならどうこたえるだろうか。
人によってはノーと答えるかもしれない。
その人の無意識は現状を肯定している可能性が高いのである。
現状のホメオスタシスにより引き戻されるということだ。
それではこう質問すればどうだろうか?
現状の私では達成不可能と思えるゴールも、そのゴールが達成できそうな別人になることが可能だとすればあたなは別人になりたいですか。
少しは別人になってもよいと思ったはずだ。
改めて言うが、コーチングとはゴール達成にいざなうことであり、ゴール達成するとは別人になることである。つまり、コーチングとは別人になってもらうことなのである。別人とは他の誰かになるという意味合いではなく、自分の自我を変えるということだ。別の自我を手に入れるということだ。
年収300万円の人が
年収1億円になるということは
年収300万円の自我から年収1億円の自我に変えるということである。
ウィキペディアに記載されていることはあくまでも具体的方法論である。(その方法論が正しいかどうかはここでは検証しないが)
コーチングの本質は現状に対して別人になること。自我を変えることなのである。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
微力ながらお手伝いさせていただきます。
微力ながら一生懸命頑張ります。
という言葉を聞いて思うことがあるのでそのことについて触れてみたい。
まず、自分で微力と言っている段階で好ましい言葉の選択とはいえない。しかし、日本では謙虚が美徳とされるので、相手に与える印象をよくしたいという意味合いではまあ良いかなとも思う。
ただし、その場合はあくまでも、社交辞令的にこの言葉を使っているという自覚が必要だ。
高いエフィカシーを維持するために、セルフトークに気を付けている人は絶対使ってはいけない言葉になる。
なぜなら、あなたの力は微力ではない。もし微力と言ってしまえば、微力しか出ないし、微力の持ち主になってしまう。
微力ではゴールを達成させる力は弱いし、叶う可能性も圧倒的に下がる。
心の中では「すごい大きな力で」と思っているがコミュニケーションの関係において角が立たないように裏腹な言葉の選択としての「微力ながら」はOKだが、心の中も「微力ながら」と思っていたらだめだ。
だからすごい大きな力でお手伝いします。私はすごいですから。というべきなのである。
これがエフィカシーであり、そう思っている人は本当にすごい力がでる。それを知っていると自然にそんな言葉がでてくるものだ。
謙虚は美徳という文化はそろそろ変えてもよいのではないか。
もちろん、鼻につく人になるかもしれないが、時代を超える先駆けとなる人は大いに鼻につく人になってはどうだろうか。
若しくは、建前として謙虚を使う。そんな選択肢を選ぶか。それもよい。
しかし、絶対に心の中では「微力ながら」はNGだ。覚えておいてほしい。
またこのテーマでもう一つ触れておきたいのは、心の中で「微力」としか思えない場合のことだ。
私の存在価値が低いといってもよいかもしれない。
この場合は抽象度を上げることを意識してみて欲しい。
抽象度をあげると視点があがる。
スポーツにおいても選手は一つの駒としての動きが望まれる。その場合は確かにサッカーでいえば11分の1、野球で言えば9分の1になるので確かに微力になるかもしれない。
しかし、監督という視点にたてば、おのずと微力という言葉を選択しないだろう。大きな力を振るうポジションに位置するのだから。
もっと抽象度をあげるとそのチームのオーナーの視点でチームのことに対して、仕事をする場合はチームに対してもっと高い影響力を発揮する。
その場合には「微力ながら」という言葉は使わないだろうことは理解できると思う。
なのでどうしても、「微力ながら」としか思えない人は抽象度という考え方を意識し、視点をぐぐっと上に持ってくるトレーニングをしてほしい。
エフィカシーと抽象度を上げる。
すると「私のすごい力をお貸ししましょうか」という言葉が生まれる。
または「私はすごいですから」という言葉を使い続けることにより、エフィカシーと抽象度が上がる。
両者は双方向的な関係なのである。
苫米地式コーチ 山本敦志です。
4月30日の勉強会無事終了しました。
セミナーから意識の高い方が集まっての勉強会でした。そのため、勉強会も非常に有意義な会とすることができました。
なぜゴール設定が必要なのか。
ゴール設定をしなければどうなるのか。
どんなゴール設定をすればよいのか。
ゴールを達成するためにはどうすればよいのか。
これだけの内容をてんこ盛りにのせた勉強会でしたが、リラックスした雰囲気の中で多くのことを伝えることができたと思っています。
おかげでアファメーションを解説する時間が取れなかったのでまた改めて会を作ろうと思っています。
事情があって芦屋の地での開催が続いており、これからもしばらくは芦屋でセミナー、勉強会、ワークショップと開催する予定にしています。
ご興味のある方はセミナー開催のページにて、随時案内してまいりますのでご覧になってください。
それにしても今の気候は気持ちがよいですね。芦屋川沿いの会場も日本でも指折りの住宅地であることがうなずけるきれいな場所です。そんな場所でのセミナー等の開催!エフィカシーがあがること間違いなしです。
では次の機会に!
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
今日は子供に対してのコーチングに触れたい。
コーチはクライアントのゴールには関わらない。
これはコーチングにおいてとても重要なルールだ。
ゴール設定をするのはクライアント自身であり、コーチがゴールはこんなのがいいわよ。そんなゴールはいまいちね。なんて絶対言ってはいけないし、思ってもいけない。
コーチとクライアントという関係性においては誰がきいても当たり前と思うようなことが、子供に対しての親や指導者はできていないケースが多い。
子供に対して、そんなゴールよりこっちのゴールがいいんじゃないのなんて言ってしまったりする。しかもあなたのために言ってあげているのよなんて思っているからからたちが悪い。
子供は未熟である。当然、大人のように経験がないのだからそれは仕方がない。その中で子供なりに思考し、思索し成長しようともがいているわけだ。そんなときにこっちは危ないからこちらの道に進みなさい。ということを教育と思っているようなら大間違いだし、親や指導者が考え直さなければならない。それは依存関係を作り上げることにしかならない。
子供にとって大事なことは自分で考える力を養うことであり、そのために必要なことは自分でゴールを決めてそのゴールの過程で起こることを自分が解決していくことなんだ。
では親や指導者は何ができるのか?
それはコーチングのコーチの役割と同じである。子供が僕が、私がこんな難しい問題を解決できるだろうかといった不安になった時に君ならできるよと信じてあげることだ。
信じていないから手を差し伸べてしまうのだろう。子供の可能性を信じてあげていない状態でこっちの道がいいわよ。と言わないほうがいいのではないだろうか。
よく子供は皆、天才!
子供には無限の可能性がある!
などと言われる。
その通りだと思うが、子供にとってごくごく身近にいる親や指導者は本当に心からそう思っているだろうか。その目に前にいる子供に対して無限の可能性があると信じてあげることができているだろうか。
コーチングにおいてのコーチはクライアントのゴールに関わらない。
このことを子供に置き換えていうと親や指導者は子供の夢に干渉しないというこである。できることがあるとすれば、その夢を君なら叶えることができるよ。と思ってあげること。そしてその思いを込めて言ってあげることだ。
まずはこのことを肝に銘じてほしい。
そしてそれができたら次のステップに行ってもらいたい。
君ならもっと大きな夢を叶えることができるよとゴールを引き上げてあげることだ。
これがコーチングであり、親や指導者はこのような指導をしていくことこそが子供の無限の可能性を引き出すことなのである。
もちろん、危なっかしくて見ていられない。介入せずにはいてもたってもいられない。そんなことをしたらこっちの身が擦り切れる。夜も寝れない。と思う気持ちが出てくるかもしれない。
しかし、介入は依存を生み、依存状態は子供の可能性を閉じ込める。
大人も葛藤しながら共に成長していくものだと思う。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
どうすればゴールは達成されるのか?
我々は認識するということにおいて、同時に二つのゲシュタルトを維持できない!というところから入ってみよう。
これはどういうことかというと現状の私とゴールを達成する私は同時に存在できないということだ。
現状の私にとってみればゴールを達成できていない。理由はゴールの達成の仕方がわからないからである。わかっていれば現状はゴールを達成している状態になっているはずである。
現状の私がゴールの達成方法がわからないのは現状の私の場にいているからだ。
その場からはゴールの達成方法が見えないのである。これがスコトーマの論理だ。
ではどうすれば見えるようになるのか?
答えはゴールを達成した場に行くのである。
ゴールを達成した場に行けばゴールの達成方法が見えてくるというカラクリだ。
しかし、ここで問題が出てくる。冒頭で述べたゲシュタルトは一つしか維持できないという脳の認識作用により、現状とゴールのどちらかが選ばれなければいけない。そしてゴールを達成した場のゲシュタルトを選択させなければならない。
ここでもうひとつキーワードを知っておく必要がある。どちらのゲシュタルトが選ばれるかは臨場感が強い方ということだ。
つまり現状の臨場感よりもゴールの臨場感の方を強める必要があるのである。
これはちょっとやっかいだ。
なぜなら現状とは我々にとって臨場感マックスな状態といってもよいだろう。目の前に広がっている世界が現状なのだから。
ここを打破することが超重要事項なんだ。
目の前に広がっている現状と思われる世界よりも強い臨場感で持ってゴールをイメージする。
現状よりもゴール達成した世界こそが当たり前と思える状態を脳内で作り上げる!!
するとまずはスコトーマが外れてゴールの達成方法が見えてくる。
それはまるでどこか遠い場所に置き去りにされても必ず自分の家にまで戻ってこれるような現象と同じだ。
ここでいう自分の家にあたるものが現状の私なのか、ゴールの私なのかが全てを決める。
仮に自分の家にあたるものが現状の私であった場合は現状の私の元に帰ってきてしまう。
だからこそゴールの私が当たり前になるまで強いイメージを作り上げる必要があるのだ。
その方法は色々ある。
セルフコーチングにおいて代表的なのはアファメーションであり、パーソナルコーチングではセッションがそれにあたる。
セルフコーチングの話はこれまでもブログで触れてきているのでそちらに譲るとして、少しパーソナルコーチングを紹介しておこう。
パーソナルコーチングのセッションの空間とは強制的にゴールの臨場感に導く。自分ではうまくできなくても、コーチはゴールの臨場感がガンガンに上がっていくようにしていく。
もしゴールの臨場感があがらず、現状の臨場感があがるようならそれはコーチングとは言わない。そのコーチはやめた方がよいと思う。
セルフコーチングはどうしても変わりたいのも自分であれば変わりたくないのも自分なのでそのジレンマの分だけうまくいかなかったり、時間がかかったりする。
それに比べるとパーソナルコーチングはよい意味で無意識に強制的に変わることを促していくようにするために効果ははるかに高い。
どちらにしろコーチング抜きにして変わることは難しいのである。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
ゴールを下げない大切さ。
人は年齢と共に、ゴールを追いかけることをやめたり、ゴールを下げたりする。
この場合の年齢はたとえ、20歳だとしても、10歳のころにかかげた夢をあきらめたりすることを含んでいる。老齢だからという意味ではなく、若くしても月日が経つとなんとなくゴールをあきらめる傾向があるように思う。
だからこそコーチングは重要なのだと思う。
人は自然にまかせていると、なんとなく生きているとゴールをあきらめたり、ゴールを下げたりしてしまう。
これは生体として安定したいという欲求に負けてしまうからだろう。ほっときゃ人はコンフォートゾーンの中で安住しようとする生き物なのだ。
ごくごく簡単にいうとこれが多くの人がゴールを達成できない理由の最大の理由であると思う。
コーチングが重要であるというのはコーチングを受ければゴールは絶対に下げさせてはくれないし、ましてやどんどん上げていくように促される。
それにより、ゴールは達成されてしまうし、何事もない日常を生きる人生からアドベンチャーのようなワクワクに満ちた人生を歩むことができるようになる。
現状で安住するか
ゴールに向かって苦しいかもしれないがワクワクの人生を選ぶか
これはゴールを下げないことがとても重要なのだ。
もちろんゴールがない場合であればゴールを持つことが先になるのだがほとんどの人は子供の頃には何らかのゴールを持っていたはずであり、生まれて全くゴールを持ったことがないという人は逆に少ないと思うので、そういった意味ではやはり、ゴールを下げない。どんどんと上げていくことを強調してよいだろう。
生きていくと色々なことが起こる。当たり前だ。そんな人生の様々なケースにおいてこのことを思い出してほしい。何があってもゴールは下げない。上げる。
下げる言い訳などはいくらでもあるだろう。それでも下げない。絶対下げない。
極端に言えばゴールが達成されるか否かはこれだけだ。
ゴールは諦めない限りすごい高い確率で達成される。時間の問題はあるかもしれないがあきらめなければ達成されるものだと理解してほしい。
変わることはよい。ゴールはどんどんと変わっていってもよいのだが、上げていく方に変えていくようにしよう。
ゴールは絶対下げない。
今日はこれが言いたかったことだ。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
私たちは言語空間に住んでいる。
このブログでも情報空間と物理空間とに大別して色々と説明してきているが、言語とはどのような位置づけだと考えればよいだのだろうか。
もちろん言語は物理ではない。人の脳内での情報処理の中で使われたり、人と人とのコミュニケーションにおいて使われたりするので情報空間に属すことは当然のことだ。
言語の宇宙を言語空間と名付けたときに、情報空間の中の言語の世界が生まれる。
その言語空間の中に我々は生きている。
どういうことかというと、例えば法律とは言語で規定されている。赤信号で止まるのは法律で止まるように定められているからだ。そして裁判も言語のやり取りで判決がくだる。人と人との間の喧嘩も言語を使う。知識の伝授、すなわち教育も言語を使って伝達する。
当たり前と言えばそれまでだが、我々は言語空間に生きているのだ。
そして驚くべきことに、その言語の制約は西洋社会から生まれている。
我々は何気なく言語を使うが、無意識の領域まで深く、深く言語により束縛されている。しかしそれに気づいていない。
もちろん、しつけや教育は言語を通して行われてきているので当然である。
西洋から生まれた契約の概念により、この世のあらゆるものが生み出されており、言語を通して我々東洋の日本人にまで深くある思想が浸透している。
コーチングはWANT TOで生きること、自由で生きることの提案をするが、思いの他言語により束縛されていることに気づかず、悩む人が多い。
色々な束縛を外していかなければならないのだが、中でも無意識の中に深く浸透している言語による束縛にも目を向けてみよう。
なぜ赤信号で止まらなければならないのか。
なぜ目上の人がえらいのか。
なぜサラリーマンはスーツを着なければならないのか。
なぜ結婚するのに婚姻届が必要なのか。
などなどこの世の疑問は掃いて捨てるほどあるが、これら全て言語で表現されるものだ。
言語宇宙を徹底的に見ていくことにより、スコトーマはどんどんと外れていくことになる。
なのでおすすめしたい。
しかし、徹底的に知識を入れていく以外に道はないので最終的に勉強しようという帰結になってしまう。子供も大人も勉強をしないといけない理由である。
苫米地式コーチ 山本敦志です。
4月16日に「悩みを幸せに変える方法」というテーマで芦屋市内においてセミナーを開催し、無事終了しました。
25名の定員でしたが、参加者は定員に達し、会場満員の状態となりました。参加した皆様ありがとうございました。コーチングへの興味は芦屋の地でも拡大していることを身に染みて感じる一日となりました。
このセミナーで私自身とスタッフを含めた会社としての反省点とその後のマインドの扱い方を少し考えてみようと思います。
会場が満員となったところまではよかったのですが、私も定員オーバーのセミナーははじめてのことであり、会場の選択等、想定していたものとは違っていました。そのせいもあってか、場の緊張状態を解くことにおいてはうまくいかなかったと実感しています。
コーチングにおいてリラックスすることはとても重要なことであり、リラックスしているからこそ脳も活性化し、吸収できるものも多くなります。
この場合、私のうまくできなかったことになります。そしてそれは私の気づきです。しかし、それでエフィカシーをさげてはいけないので、このような場合私は「私らしくない」「我々らしくない」と考えます。
セミナーでもお話しした、時間は過去から未来に流れているのではなく、未来から過去に流れているということ。過去の失敗やうまくいかなかったことはどんどんと過去に流れていく。大事なのは未来のゴールに何が欲しいのか。どうなりたいのかを定めて、その未来のゴールだけにロックオンしていくことです。
だから、私は「次はこうしていこう」という強いイメージを持っています。場をリラックスさせることを臨場感を持ってイメージします。
今回のセミナーから次の勉強会に多数の参加者が来てくれるようですので。次の機会は共にリラックスした状態で、我々の中に秘めた可能性をどんどん引き出していきましょう。
過去の失敗やうまくできなかったことは次へのゴールを生み出し、ゴールの臨場感をより鮮明にしていきます。だからこそなりたい自分への挑戦を恐れず、どんどんとやっていきましょう。
この度はセミナーへの多数のご参加誠にありがとうございました。
そして第2弾勉強会を皆様と共におこなうことをこころより楽しみにしております。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
4月16日(土)に「悩みを幸せに変える方法」というテーマでセミナー開催します。
コーチング理論の基礎的な部分をわかりやすく説明するセミナーです。
コーチングに興味をお持ちの方や、コーチングを一度知ってみたいという方にはとても良い機会になると思います。
是非お越しください。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
人生において成功するか否かは選択による。
人生観というものがあるなら、それは大別すると二つに分かれる。未来志向か、原因論か。
原因論から考えてみよう。
現在のあなたの状態が自分が望んでいる人生ではないと思っているとしよう。そしてその理由を考えたときに原因論の思考によれば、「私がこのような人生になったのは過去のあの出来事が原因である。過去を変えることはできないのでこの人生を受け入れるしかない。そして現在のこの状態は過去の結果であるから変えることができない。だから未来も希望をもつことができないのだ。」
このような思考体系ができあがる。
しかし、少し考えてみよう。上記の人と同じ境遇で生まれた人の中で成功者が出るのはなぜだろう?世の中には過酷な境遇に生まれながらも大成功をおさめた偉人は多数存在する。
それはその人たちの思考体系が未来志向であったからに他ならない。
未来志向の思考をすれば過去など問題にはならない。未来志向の人にとってはその欲しい未来にとって重要ではない過去は存在もしていないだろう。これはスコトーマの原理である。しっかりと未来を見据え、その未来が必ず達成されると確信している人たちにはその未来にとって重要であることしか見えないのだ。だからこそチャンスをしっかりと捉えることができるのだ成功の階段を上っていくことができる。
原因論の人たちは成功する人はもともと成功する人だったんだ。一般人とはもともとから違うんだと解釈しがちである。
しかし、違う
それは過去を引きずって生きていく選択をしたか、未来志向で生きる選択をしたかの単なるその人の選択の問題である。
人はだれでも、今すぐにでも変わることができる。
過去に何があったかなどどうでもよい。
未来に何が欲しいか。
その未来が達成されると確信できる人だけがその未来を手繰り寄せることができる。
過去をみるか
未来をみるか
選択の問題である。