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こんにちは。コーチ山本敦志です。
あなたのゴールはなんですか?
「○○です。」その○○は地位、権力、金というゴールを言い換えたものでなないかを一度考えてみてください。
ちなみに地位、権力、金がゴールでも全然OKです。この世界は資本主義社会を採用しているので、お金や競争に勝ち残ることがゴールでも構いません。
ただし、そんな方に提案したいのは趣味のゴールを持つことです。お金や競争だけの人生ではあまりにも寂しいと私は思います。お金や競争以外に自分が大好きなことや心が躍ることを探してみましょう。その大好きなことこそがあなたに生きる喜びを与えてくれます。
お金はお金のゴール
趣味は趣味のゴール
それに加えて健康のゴール
老後のゴール
などなど様々なゴールを持つ方が好ましいのです。
現代社会においてお金という概念が人々の心の奥の奥まで広がり支配しています。とはいうものの、やはりお金で買える、欲しいものもあるでしょう。
それはそれでよいのです。
ただ、大好きなことを見つけそのことも大事に思い、そのための時間を使っていくということを忘れてしまわないでください。そのバランスがとれていくとよりよい生き方となっていきます。
こんにちは。山本敦志です。
あなたと同じように、私もゴールを掲げて日々生きています。
私もあなたもゴールに向かって歩んでいる同志と言っていいでしょう。
そして、そのゴールが達成されるか否かに多くの人が興味を持つことでしょう。
コーチングとはゴール達成の可能性を上げることです。絶対にそうなると言い切ることはできません。なぜならあくまでも確率の問題であるからです。
そう聞くとあなたはどう思いますか。
それなら今のままでいいやと思いますか?それともそれでも可能性があるのならゴールに向かってチャレンジしたいと思いますか?
ゴールへの第一歩はチャレンジです。自分の可能性を信じて歩み始めることです。コーチを信じることより、ゴール達成ができることを信じることより、大切なのは自分の可能性です。不確定だと思われるけれでも歩み始めることをしていただきたいのです。
歩んでいく過程で不確定だと思われたものも確信に変わるときがやってきます。
諦めた時点で終了です。
諦めなければだんだんとゴールに近づいていきます。
諦めたくなる衝動は何度も何度もやってくるでしょう。それでも一歩一歩進んでください。
あなたの中にある可能性をあなたが信じることなくしてゴールの達成はありません。
人が何と言おうと自分自身の可能性を信じることだけは捨てないでください。もちろん私も私の可能性とあなたの可能性を信じています。
苫米地式コーチング認定コーチの山本敦志です。
ゴールを持つという決断をしよう。
ある程度、年齢を重ねるとゴールを持つ必要性を感じられなくなってくるのかもしれない。しかし、スコトーマを外すためにはゴールの存在が必ず必要になる。
ゴールを設定しなければ、今日と同じ明日、今年と同じ来年、10年後も何の進化もない人生を送ることになってしまう。
変わりたいという人にとってはゴールは何よりも重要である。
しかし、その重要性を頭では理解したとしてもゴールが見つからない。わからないという人も少なくない。そこで提案したいのは「決断」である。
今、ここでゴールを持つという決断をしてほしい。
そして自分の後ろにバーチャルな線を引こう。その線の向こうは崖をイメージする。常に自分の後ろには崖があり、過去は崖の下の彼方へ消えていく。もちろんそうなると前方が未来である。未来に輝く自分の行く場所がゴールである。
未来にしっかりとゴールをイメージする。そのゴールに向かって一歩一歩、歩んでいく。
そのためにもまずは、決断だ。
ゴールを掲げる決断をする。自分が引いた線からは一歩も後ろに下がらないと決めよう。ゴールしか見えない人生を送ることにより人は成功を積み上げていく。
全てはこの決断からはじまるのだ。
こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
7月16日(土)に「なりたい自分になれる無意識の使い方」というテーマでセミナーを行います。すでに13名のご参加があるようなので、残り7名となっています。ご興味のある方はお早めにお申し込みください。
詳細はこちらhttps://www.yamamotoatsushi.jp/index.php?data=./data/l4/
内容
私たちは普段、何げなく無意識を使っています。呼吸を意識していなくても無意識がきちんと酸素を取り込んでいますし、心臓を動かそうとしなくても、無意識は眠ることなく心臓を動かし続けています。これも無意識のおかげなのです。無意識が働いてくれるからこそ健全に生きることが出来る。しかし無意識の作用はいいことだけとは限りません。
私たちがなりたい自分になろうと思うとしましょう。なりたい自分になろうと意識を働かせたところで無意識が「やだ!自分はそのままがいい」と抵抗します。私たちの意識の外で無意識は強烈にあなたを現状のあなたに縛り付けようとしています。この無意識の作用があるからこそ自分を変えるということが困難なのです。
しかし、もしも無意識をうまく使うことが出来ることができればどうでしょう?
当然、なりたい自分になることも可能ですし、今まではできないと思っていたようなことができるようになります。実は世界の成功者のほとんどはうまく無意識を使っています。成功の鍵は無意識を使いこなせるか否かなのです。
ですから、今回のセミナーでは苫米地式、タイス式のコーチングの理論を使って無意識の使い方を解説します。
皆さんに無意識の使い方を学んでいただいて「なりたい自分」になっていただきたいと思います。
ご興味あるかたはご参加ください。お待ちしています。
https://www.yamamotoatsushi.jp/index.php?data=./data/l4/
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
6月29日、7月3日と二回に渡って、苫米地式コーチ限定の大阪で苫米地式コーチング勉強会を開催しました。
29日に至っては、田島マスターコーチにお越し頂き、「発展していきそうですね」という言葉をもらいました。
内容に関しては、守秘義務がありますので詳しくブログで述べることができませんが、どちらの勉強会も大変、有意義な内容であったと思います。
もともと高い抽象度のメンバ―が集まっていますが、勉強会においてディスカッションをおこない、他の視点をお互いが感じることにより一層抽象度が上がったのではないかと思っています。
博士の抽象度を上げるためには知識がいる。しかし知識の習得は生易しいことではないという言葉を思い出しました。
地道なトレーニングでもある知識の習得ですが、勉強会における、意見交換を行うことによる知識の習得はとても楽しくおこなえます。実際、笑い声の絶えない会となっています。
参加されている方はみんなすごいコーチ達ですが。それでもみんな向上心を持って抽象度の階段を上っている姿を見てまた、私も勇気と励ましをもらいます。
そして近年、大阪を中心とした関西の地においても苫米地式コーチングやルー・タイスの思いは徐々に広がってきているのを感じます。日本全国に広まっていくためには関西は重要な拠点です。関西での広がりなくして日本全国への広がりも、世界への広がりも望めないのではと考えています。
関西若しくは全国の各地域でご活躍されている苫米地式コーチング認定コーチの方、また大阪勉強会にお越しください。いつでもお待ち申し上げております。
苫米地式コーチング認定コーチの山本敦志です。
ゴールにも色々ある。夢という言葉はどちらかというと、プラスのイメージとして使われているような気がする。例えば子供がプロ野球選手になるという夢を持っている場合などは、プラスの方向へ行きたいというゴールだ。しかし、病気になって治りたいというのはマイナスから0地点へ戻りたいというゴールになる。
いずれもゴールと呼べるが、病気を治したいというようなことには夢という言葉を使わないような気がする。
コーチングにおけるゴール設定は現状を0だとした時のプラス方向へのゴールと現状がマイナスだとした時の0地点へのゴールがある。
マイナスから0に戻りたいというのもれっきとしたゴールだ。
病気の人は、健康になりたいというのは当然ゴールだけど、健康な人からすれば当たり前のことかもしれない。
ゴールは人それぞれであり、色々なところに現状があり、その現状で固まってしまっている状態から抜け出したいと思っている。
プラス方向とマイナス方向の違いとはマイナスというのは、一度は体験したことがあることと言えるかもしれない。何かのきっかけで0地点から大きく外れてしまう状況が起こったりする。
しかし、この出来事はゴール達成ということを考える上でとても参考になる現象であると思っている。
考えてみると、病気になったということは現状から離れた状態になることができることを示しているとはいえないか。
つまり、人はプラス方向でもマイナス方向でもとにかく変わるということだ。重要なのは自分が変わりたいと思う方向へ変わることだ。
実は無意識に任せていると思ってもいない方向へ連れて行かれることがある。病気になるとはそういうことで、意識的には病気は嫌だと思っていても、無意識はそれを望んでいるかもしれない。自分に起こるすべてのことは無意識を含むと全て自分の選択によっている。
人は自分が思った通りの人になっているのだ。
だからこそ、自分の意識できちんと自分の人生をコントロールできる力を身につけないといけない。
その為にもやはりゴール設定が大事になってくる。自分のゴールを毎日きちんと設定して生きていくという習慣がとても大切なことなのである。
そうしなければ、無意識が行きたくもない方向へ運んでいってしまうということが起こる。
毎日アファメーションをしよう。
瞬間、瞬間の言葉を意識にあげよう。そしてネガティブな言葉を使わないように心がけよう。自分の言葉をコントロールすることにより、無意識をコントロールすることができるのだ。
それだけで、人生は大きく変わる。
ゴール設定があるからこそ人はなりたい自分になることができるということを覚えておいてほしい
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
社会の中では優等生がよしとされている。では、優等生とは一体なんなのか。そんなことを考えてみよう。
優等生とは、義務教育を通して、社会人になっていく過程で、社会の中で一番使える存在のように感じる。資本主義の枠組みの中では、上司の言うことを素直に聞く部下を優等生というのではないだろうか。そのマインドがいつ出来上がってきたかというと、子供の頃に親や教師の言うことを素直に聞くとところから生まれてきていると思っている。
もちろん、勉強やスポーツも優秀であることと優等生であることとはつながっているとは思う。しかし、それに加えて社会的に優等生と言われるのは上記のような上の言うことを素直に聞くという人のことを指しているように感じるのは私だけではないと思う。
では、親や教師や上司の言うことを聞くことが本当に良いことなのか。
それを考えてみよう。
私は二つの視点で答えが違うと思っている。
一つ目の視点、社会という視点だ。
社会から、一個人を見てみる視点だ。この世の中は確かにピラミッド構造の人間関係が成り立っている。そのピラミッド構造を維持するためには上が下に教育する。それによって成り立っているのだから、社会というピラミッドを維持するという視点から見てみると上の言うことを素直に聞く能力はよいといえるだろうと思う。
しかし、二つ目の視点、個人の視点から見るとそうは言えない。「私」という視点だ。
個人は社会のピラミッド構造を維持するために存在しているのではない。あくまでも個人の人権は尊重されるべきだから、自由に生きてよいはずだ。その視点から見て、上の言うことを素直に聞くということは奴隷のような存在として自分を扱っていると言えないだろうか。私にはそう見えてしまう。
私はコーチなのでどちらかというと個人の視点の方を尊重しており、ピラミッド構造を維持するための人づくりには興味がない。だから私は個人は優等生を目指すべきではないと思っている。
個人の視点を尊重するコーチからすれば、優等生なんてやめちまえ!と言いたい。
今回はそれが言いたかった。
気持ちがいいからもう一回言おう。
優等生なんてやめちまえ!
社会の視点から自分を見るブリーフシステムを持っている人はとても多い。そんな視点は捨てちまえ!
大事なのは個人、そうあなただ。
あなたが何をしていると楽しいのか、何をしていると嬉しいのか、何をしていると心が躍るのか、それを考え、その通りに生きてほしい。
え?いいんですか?優等生ならきっとそういうだろう。
いいんです!
その為に人は生まれてきているんだ。
やりたいことをやりたいようにやる。それが唯一、あなたがやるべきことだと私は思っている。
そうではないですか。一生誰かの言うがままに生きるのですか。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
6月25日(土)13:30から16:00まで「脳力を最大限に引き出す方法」というテーマでワークショップを開催します。
是非ご来場ください。
内容は苫米地式コーチングと超情報場仮説の解説をしようと思っています。今まではルータイスのコーチングプログラムをベースにしてセルフコーチングで使えるように解説してきましたが、今回は認知科学や苫米地博士のオリジナルな理論でもある超情報場仮説を解説したいと思っています。そのことにより、スコトーマが外れ、隠された「脳力」が発揮されるようにしたいと考えています。ワークショップ形式で少人数で意見交換しながら進めていく予定にしておりますので興味のある方は是非ご参加ください。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
今日は恐怖について考えてみたい。
恐怖とは未来に対する不安のことだ。
未来にあんなことが起こったらどうしようと人は考えることが出来る。未来に対して推論をする能力を手に入れたことにより、それを避けようとする情動が生まれた。それが恐怖の出所である。
未来に対しての推論は想像力でもある。そしてなぜ、推論ができるかというと過去の経験と知識によるわけだ。過去の経験と知識があるから未来に対して推論することが出来る。
人間は昔は、生きながらえるために、過去の経験と知識を使ってどのようにすればよいのかと思考することが出来るまで、進化してきた。もちろん進化してきたのは脳のことだ。脳の進化により未来への推論をすることが出来るようになってきたのだ。
そして、その脳の進化により、未来への推論と情動が結びつくことにより将来起こることに対しても情動が発動してしまうようにもなってきている。
簡単にいうと将来こうなったら嫌だな。とかこうなったら怖いなという情動である。
未来への推論なくして、今この瞬間にあまり恐怖は感じない。
どういうことかというと例えばやくざに遭遇したとしよう。恐怖の感情とは「もし絡まれたら怖い」という情動であったり、「殴られたら怖い」という情動ではないか。
恐怖とは。遭遇したときに未来起こりうる可能性を想像することにより生まれてきていることに気づくのではないだろうか。もちろん想像して今この瞬間怖いからこの瞬間に恐怖を感じている。
しかし、想像することにより恐怖は生まれてくることが理解できるはずだ。
瞬間の感覚でいうと、やくざの場合でいえば、例えば「突然、殴られた」ときに感じる、感覚とは「痛い」であり、「怖い」ではない。
つまり、恐怖のほとんどは未来への推論から生まれてきているということを知ってほしい。
その推論は過去の経験と知識がベースとなっている。
ではどうすれば恐怖を克服できるのか。
ここでは一つ手法をお伝えしよう。
その手法とは抽象度を上げるということだ。
抽象度をあげる、つまり視点を広げることにより、それってこういうカラクリだよなと気づく。それにより、恐怖は軽減されると言いたい。しっかり、頭で考えるといってもいいかもしれない。恐怖の感情に捕われずに、冷静にしっかり考える。
やくざの例で言えば、やくざと言っても、やくざに見えているだけで単なるファッションじゃないのか。もし本当にやくざだとしても突然人を殴ったら警察に捕まるだけだから、しないよな。もし本当に殴りかかられた時の為にあそこに避難しよう。などと対処法を考えたり、相手の背景にある法的な束縛を見極めたりと推論の質を上げていくことにより、それって怖いことではないよなと思うことが出来る。
逆に言えば、恐怖はある抽象度では恐怖であるが、一つ抽象度を上げれば恐怖ではない場合が多いのだ。
だからこそ、普段から抽象度をあげるトレーニングが欠かせない。
もちろん抽象度を上げるトレーニングとは経験と知識を積み上げていくことになる。
未来に対する推論から生まれる恐怖の克服は知識を増やし、未来に対する推論の質をあげていくことで克服できるのだ。
是非、実践してほしいと思う。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
今日、知り合いと話している中で老害の話題になった。
老害を考えてみようと思う。
アメリカの研究データの中にゴールを失った人は平均して18か月後に死ぬというのがあるのをご存じだろうか。
例えば、何十年も働いてきた会社に定年退職を言い渡された場合などが典型的な例かもしれない。通常ゴールとは夢のようなものを指すのだが、この場合は現状維持というゴールを持ちながら生きてきたと捉える。長年現状維持をし続けて突然、定年を迎える。そしてそこから、新しいゴールを再設定できた人はそのあとも生き続けるのだろうが、再設定できなかった人がなんと18か月しか生きられないというのだから驚きである。
簡単に言うと生きる気力を失った場合、生命は本当に死を迎えるのだ。
誰でも、死にたくない。
年老いても無意識は死にたくないものだから、現状の居場所を維持しようとするのは極めて自然なことだと私は思っている。
老害という言葉を使うのは、そんな環境下において若者の可能性が発揮できないと思っているどちらかというと若者の年齢に近い人ではないだろうか。
そんな若者は今すぐその場から立ち去って、自分のやりたいことをやれる場を見つけてほしいと思う。そんな簡単にはいかないというだろうか。そうかもしれない。しかし、この問題は相反する二つの矛盾する価値観をどう受け止めるかではないのだろうか。
一方に君が間違っているから正せとお互いが思っていても拉致があかない。
重要なことはゴールである。ゴールに合致すること以外はスコトーマに隠れてみえなくしてしまえばよい。重要なことは自分のゴールがなんなのかである。
仮にゴールに向かう上で老害と思われる人が必要なのであればそれは害ではなく仲間である。必要なことはルールを決めたり、話し合うことかもしれない。
ゴールに向かう上で必要なければ、先ほど述べたようにスコトーマにしよう。
66億の人間がいれば66億の価値観が存在する。
となりの人と価値観が合わなくて腹のたつことがあるかもしれないが、相手には相手の価値観があり生きている。そう思って尊重することはとても大事なことだ。
かと言って、相手の価値観に合わせろと言っているわけではない。自分の価値観こそ一番尊重するべきものだ。自分のゴールが一番大切だが、隣の人も同じことを思っているということを知ることが大事なのだと思う。
年老いても、若くても、皆一生懸命生きている。それは間違いのない事実である。