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戦争と差別ない世界を創るには人々のマインドが変わらなければならない。
利他的に変わらなければならない。
ただどうすれば利他的に変わるのだろう?
歴史的に著名な識者も平和な世界を目指してアイデアを出してきた。または歴史的な英雄の思想哲学を引き継いでエバンジェリストとして活動してきた。しかし、現状をみるとことごとく、人々の煩悩を焚きつけて隷属化させる勢力に押されて苦渋をなめてきているように見える。
このまま、我々の社会は利己的な争いの社会から抜け出せないのか。
または戦争と差別のない世界を希求する一般市民の声はその社会を作り出せないのか。
その答えはコーチングであると思っている。
恐らく多くの人はコーチングと戦争と差別のない世界とは繋がらないのではないか。
コーチングは個人のゴールを実現する方法である。
しかし、その個人のゴールを実現する先には必ず人類のゴールを実現することとつながっていく。
これを抽象度という。
私たちはもともと繋がっている。
些細な争いごとで人を殺していいわけがない。自分だって殺されたくないのと同様に隣の人だって殺されたくない。それは生きている人間であれば同じはずだ。
遠く離れた違う人種も人間だ。自分が殺されたくないのであれば、違う人種の人間だって殺されたくない。自分の子供が殺されたくないのであれば、遠く離れた違う人種も自分の子供は殺されたくない。
抽象度があれば、人は誰だって殺しあうほどの争いは望まない。
それなのに、現実は利己的な利益のために戦争が起こっている。
利己的な利益とは誰の利益かという重要なテーマともつながるがここでは抽象度を考えたい。
コーチングは自己実現はもちろんのこと、加えて戦争と差別をなくす方法論である。
お金持ちになるのもいいが、世の中には食べ物が不足している人もいる。
おいしいものを食べるのもいいが、殺されている動物もいる。
一番になるのもいいが、最下位で自信を失う人もいる。
広い新しい家に住むのもいいが、家がない人もいる。
利己的自己実現の裏側で普段気にもかけない存在がその影響を受けていたりするものだ。
コーチングにおいて抽象度の概念が無いのは危険だと思う。
コーチングに抽象度の概念がはいっていなければ、戦争と差別をますます助長することにならないだろうかと心配してしまう。
コーチングを自己実現だけに使うとその大切な本質を切り離して、金もうけに走る集団に変わるのではないか。
煩悩の集まりは激しいハリケーンのように人類にとって大切なものを吹き飛ばす。
一人でも多くの人が抽象度の階段を上り、利他的な生き方を率先して人々を先導しなければならない。
コーチングは自己実現とともに抽象度をあげることは必須テーマである。
コーチングの中に抽象度の概念があるからこそコーチングによって戦争と差別のない世界を目指すことができる。