オフィシャルブログ

カテゴリー別アーカイブ: コーチ山本敦志のブログ

本棚の整理で自我の整理

 

 

年末になり、慌ただしい毎日を過ごしている方も多いのではないでしょうか。

 

私も年末ということで、大量の本を整理してみました。

 

本は趣味でもあるので、いつのまにか量が増えてしまいます。量が増えると、本棚の奥と手前の両方におくようになって片づけでもしない限り、奥の本を読み返すことは絶対になくなります。

 

ですから、本棚を増やすか本を処分するかの選択になるのですが、家の都合上無限に増え続けそうな本をストックできるようなスペースの確保はやはり難しいです。

 

ということで処分を選択しました。

 

残す本と処分する本、これらをどう分けるか。

 

皆さんも同じようにされていると思いますが、自分にとって重要な本と重要でない本の選別をします。

 

我々の自我も同じで私が私だと思っている私とは本来、空なのでこれ!と取り出すことのできないものです。すると私とは何々だという情報で私を定義しています。

 

その情報は本の選別と同じように重要であるかどうかが振り分けの基準となっているのです。

 

自分にとって重要であると思っている事柄の集合が自我だということです。

 

そんな視点から、本棚を見てみると本棚は考え方を形成しているものでもあり、自我を形成しているものであるといってもいいと思います。だから誰かに本棚を見られるとちょっと恥ずかしかったりするときもあるのです。

 

その本棚を整理すると、自我を整理しているような気分になりとても気持ちがいい。

 

本棚だけではなく、家の整理や整頓をすると自分の頭の中が整理されることなので、定期的な整理は欠かせないことですね。

 

皆さんも年末に向けて物理場と情報場の整理をして、新しい年と共に新しい自我を手に入れて欲しいと思います。

 

20151217_175804

空とコーチング

包摂半順序束のトップが空であるという説明をした。

 

そして自我は宇宙に対して自分を頂点とした重要性の順番で並んだ部分関数だという話もした。

 

情報量の大小で並べた順序集合のトップも空なら、自我という頂点も空である。

 

これがこの世も空だし、自我も空であるということなのである。もう少し簡単にいうとこの世は幻想であり、これが私だと強烈に思っているような私はあるとも言えるしないともいえるような空なる存在であるということだ。

 

この話は我々にどんなインパクトを与えるのだろう?そんなことを考えてみたい。

 

仏教の出家者やよほどの哲学好きでないかぎり、空のことなんか考えたことはないかもしれない。しかし、古来から人間の意識を考えてきた賢人たちのふるいにかけられ残ってきた空という概念は我々に大きな気づきを与えてくれるはずだ。

 

結論から言うと苫米地理論というか苫米地博士の教えでは中観で生きるために空という概念を知った上でこの世界を認識するこの世の見方すなわち空観が欠かせないといっている。中観とは空観をわかったうえで仮であるこの世界(仮観)を全力で生きる生き方こそが現代に生きる我々の最高の指針であるということだ。

 

その意味でも空は徹底的に知る必要がある。まずはこのことを頭の隅にでも置いておいてほしい。

 

ただ中観の話は違う機会にするとしてコーチングにおける空という概念の重要性をここでは考えてみる。

 

コーチングにおいてもゴールの臨場感をイメージするうえでも空という概念はとても役に立つと思っている。なぜならゴールが達成されないのは現状のホメオスタシスが強くて引き戻されてしまうからという理論があったことを思い出してほしい。その時にゴールの臨場感を強力にするには現状という世界そのものが幻想であるという意識を持てば、なんだ、同じ幻想ならゴールが達成された方がいいじゃんと無意識も思いやすいということだ。

 

みんな誰でも現状に対して強烈なリアリティを持っている。その強烈なリアリティとはこの世界が幻想ではないというリアリティである。

 

悩みがあるとする。悩みがあると思っているから悩んでいるのだから、つまり悩みなんて幻想だなんて思っていないということだ。

 

世界が空であり、自我も空である。

 

しかし、空である世界も自我も自分が作り出しているのも事実だ。現状もゴールも自分が作り出した空なる世界、幻想の世界だからこそ、無意識はゴールを選択できるのだと思う。

 

いかにこの世は自分が作り上げた空なる世界と思えるかどうか。

 

コーチングにおいても、自由に楽しく生きるというテーマにおいても非常に重要な概念である。

 

eha0008-009

空の理解の大切さ

 

4回にわたって苫米地博士の言葉を借りて形式定義をやってきた。

 

みなさん、だから何やねん!と思っているかもしれない。

 

実際、周りでも面白くないなどと言われた。

 

だから、何のために、結局何が言いたかったのかをこれから説明していこうと思う。

 

古来から人々は悩み、苦しみ、変わりたいと思いながら生きてきたと思う。そして多くの人が過去にどうすれば人は幸せに生きれるのかを考えてきただろう。

 

そして、偉大な哲学者や宗教者、それに数学者、物理学者、芸術家を生み出してきた。

 

私は苫米地博士もその一人だと思っているので、熱心に学ばせてもらっている。

 

2600年前に釈迦が悟ったとされている。そして悟った内容が空というわけだ。そしたらみんなが空ってなんですか?と釈迦に聞きたかったのだと思うが、釈迦は空については語らず、縁起という説明原理を説いたとされている。空は説明することは難しく、縁起という説明原理を通して空にたどり着いてもらいたかったのだろう。しかし釈迦は月を指さして、月(空)を見よ。指している指(縁起)を見るなと言っている。つまりみんなに説明原理の方ではなく、空の体感こそが悟りであると伝えたかったのだ。

 

現代科学では、相対性理論から量子論の時代になり、ひも理論の時代になった。この現代でも釈迦が悟って教えたかった空というものが量子論やひも理論の帰結と同じであるとのことから空という概念は改めて注目されるようにもなった。

 

それほど貴重な空という概念。

 

だからこそ我々は空という概念を知り、そして体感できるようになる必要性を感じるはずなのである。

 

現代では空を悟るのは誰でもできる時代になったと苫米地博士は語っている。

 

空を悟ったうえでどうやって生きるのかが問われるということだ。

 

だからまずは空という概念を徹底的にマスターしようということで、形式定義から入ってみた。

 

形式定義はなんとなくそんなもんねーとして捉えてくれたらいいです。正直私も、数学や哲学のプロフェッショナルじゃないので深い知識は持ってません。

 

しかし、大切なエッセンスはここからきちんとつかんでもらいたいと思っている。

 

続く

 

m010493

 

苫米地理論 空の形式的定義

 

苫米地博士の宇宙の形式定義をしたうえで、今回は空の形式定義をやっていこうと思います。

 

包摂半順序束の宇宙において任意のふたつの概念もしくは存在をとりだします。

 

その二つの概念もしくは存在のGLBをbottomといいます。

 

そしてその二つの概念もしくは存在のLUBをtopといいます。

 

包摂半順序束の宇宙のbottomとはなんでしょうか?

 

これを現代分析哲学では矛盾と定義します。

 

そして包摂半順序束の宇宙のtopのことを空と定義するのです。

 

例えば、ペンと犬という二つの存在をとりだして、そのふたつの下位概念を考えます。ペンなのにワンと鳴く存在。ワンと鳴くのに書くことができる存在です。これを矛盾と表現するということです。下位概念の内のもっとも下位にあるものを矛盾というのです。

 

またペンと犬の上位概念はどうでしょうか?

 

現代分析哲学ではこれはいくらでもあるので特定の概念が存在しないとされているようです。

 

しかし、苫米地博士は東洋の仏教哲学を使って、これを空と定義すると言います。

 

空とは宇宙の何よりも上位であり情報量の少ないもの。

 

包摂半順序束のtopであり、宇宙の全てを潜在的に内包しているものとして、定義しているのです。

 

kuu

苫米地理論 宇宙の形式定義その2

 

前回宇宙の概念は包摂半順序という説明をしました。

 

今回は束という数理モデルで宇宙の定義を拡張します。

 

順序集合において、任意の二つの要素をとりだして、共通の上位にあるものをUpper Bound、日本語で上界といいます。そしてUpper Boundの内で最も下位にあるものをLUB(Least Upper Bound)最小上界といいます。

 

<犬、猫、動物>という半順序集合があったとき、犬と猫の任意の二つの上位概念は動物です。

 

ですからこの場合は動物がUpper Boundであり、LUBとなります。

 

反対に任意のふたつの要素をとりだして、共通の下位にあるものをLower Bound、日本語で下界といいます。そしてLower Boundの内で最も上位にあるものをGLB(Greatest Lower Bound)最大下界といいます。

 

<シュナウザー、犬、ペット>という順序集合があったとき、情報量の大小で見て、ペットと犬の任意の二つの下位概念はシュナウザーですから、この場合、シュナウザーがLower Boundであり、GLBとなります。

 

このように順序集合もしくは半順序集合の内でLUBかGLBのどちらかもしくは両方が最低一つはある順序集合のことを、束といいます。

 

宇宙は包摂半順序集合であると定義しましたが、宇宙の概念にはLUBとGLBがありますので宇宙は包摂半順序束であると定義することができるということです。

 

シュナウザー

苫米地理論 宇宙の形式的定義

 

宇宙と言えば、地球や太陽や銀河系やなどといったイメージがわくかもしれません。

しかし、ここで定義しようとする宇宙はそのような宇宙を含んだ、我々の脳内で認識されたすべての概念のことです。

 

地球や太陽といった宇宙は物理宇宙。苫米地理論において定義しようとする宇宙は情報空間にも無限に広がっていますので、一番低い抽象度の宇宙が物理宇宙で概念となって無限に広がる情報宇宙までの形式的定義です。

 

というか、認知科学においては物理宇宙も情報宇宙もどちらも結局は脳内で情報処理されて認識されたものであるという点において内部表現という言い方をし、同じものとしてみなします。

 

ですから物理宇宙から情報宇宙までの宇宙の定義としてとらえてください。

 

これを包摂半順序という集合論という数理モデルを使って説明します。

 

包摂順序とは情報量の大小で並べられた上位、下位の関係のことをいいます。抽象度は高くなればなるほど情報量が減っていき、低くなるほど情報量は増えていきます。

 

ただし、抽象度が高くなればなるほど情報量は少なくなりまが、そこに入っている潜在的な情報量は多くなっています。

 

例えば(ブルドッグ、犬、哺乳類、生物、有機物)とどんどん抽象度をあげていくとブルドッグの情報量よりも有機物の情報量のほうが少なくなるのですが、有機物は生物も哺乳類も犬もブルドッグもフォルダに入っているので潜在的な情報量は多くなるというのはこのような意味です。

 

そして半順序というのは自然数を並べた時に(1,2,3,4,5・・・・・・・)ときちんと並べることができる完全集合という意味に対して、中にあいまいな要素があり、どちらともいえないようなものも含むがだいたい並べることができる集合を半順序と言います。

 

ブルドッグの例でいえば、(ブルドッグ、犬、猫、ペット・・・)と並んでいた場合に情報量の大小で並んでいるのかな。でも犬と猫ってどちらが上かな。みたいな集合です。

 

我々の認識の宇宙は情報量の大小で並べられた半順序集合であるというわけです。

 

そして次の束論のはなしとつながっていきます。

 

空

苫米地理論 自我の形式的定義

 

苫米地理論における自我の定義

 

自我とは宇宙の中から自分を定義する部分関数である。

 

宇宙に自我という関数を入力すれば私が出力されるということです。

 

これと同じ表現をして例えるなら自然数における偶数という概念があります。

自然数に偶数という関数を入力すれば(2,4,6,8,10・・・)が出力されるのと同じです。

 

では、自我という部分関数の中身とはなんなのか?

 

それは私にとっての重要性で並べられた情報のことです。

 

私は兵庫県に住んでいて、親はだれだれで、兄弟は何人で、好きな食べ物は何で、どこどこの学校出身でなどと、私を定義する情報のネットワークを自分にとって重要な順番に並べ替えます。

 

そして例えば、好きな食べ物がプリンだったとしたら、プリンという情報のネットワークもまた多数存在し、そのネットワークは無限に広がっていきます。

 

その無限のネットワークの中で、自分にとって重要な順番に並べられた情報の中心点が自我ということになるのです。

 

自我の説明を試みた時に、自分にとって重要な情報をあげることはできますが、自我自体の説明をすることができるでしょうか。これが自我が点と同じようなものであるといわれるゆえんです。

 

ユークリッド幾何学の定義における、円に対しての中心点とは面積のないものです。ですから、これ!といた存在をとりだすことができません。

 

また同じく、線分の端にしても存在していることは間違いないのですが、線分の定義は幅がないのですから、これ!とその存在をとりだすことはできないのです。

 

ですから、同じように自我もとりだすことのできるようなこれ!といったものがなくただ自我という中心点に向かって重要性の順でならんだ情報の集まりであるといえるわけです。

 

自我

ゴールのある人生を選択しますか?

 

人はゴールを設定しなければどうなるのか。

 

時間は未来から過去へと流れている。未来からどんどん押し寄せてくる出来事たちの中で、我々の認識とは重要であることだけを拾い出して生きている。

 

ゴールを持っているということは未来の方向をむいているということだ。

 

川で例えると、川上を見ている状態がゴールがある状態。未来を見据え、チャンスが流れてきたときには適格に拾っていくことができる。

 

ゴールがない状態とは、川下を見ている状態のことだ。過去のことばかり気にしている状態だ。過去をみていて未来から流れてくるチャンスを拾うことができるだろうか。みつけたときにはすでに流され遠ざかっていっているのだからチャンスはつかめない。

 

ゴールを設定するからこそ成功ができるという意味は、未来を見据えているからこそチャンスが拾えるともいえる。

 

逆にゴールがないとは現状が続いていくということだ。現状のゲシュタルトは過去の記憶でできているのだから、現状のまま生きるとは過去を生きているということができるのではないか。

 

また魚が陸に上がった話をする。
陸にあがった魚がいたように深海にもぐった魚がいたはずだ。その魚は深海魚となる道を選んだ。

 

光も少ない、餌も少ない、暗い世界、その中で生きるという選択をした魚。

 

僕から見るとゴールのない世界とは少しずつ、少しずつ、深海にもぐっている人生に見える。もちろんどちらがいい、悪いというつもりはないのだが。

 

僕はゴールのある人生を望むし、ゴールのある人生を望む方のお手伝いをしたいと思っている。

 

ルー・タイスが教えてくれた言葉に

 

it’s my choise

がある。

 

ゴールを持たず現状を生きる道もit’s my choise

 

未来にゴールを設定して生きる道もit’s my choise

 

またどんなゴールにするか、すべてit’s my choise

 

そんなあなたを心から応援することが僕のit’s my choiseだ。

 

過去の出来事、環境、年齢、など一切関係ない。誰であろうとゴールを持つことはできる。今から、でっかいゴールを持つ気になってくれたとしたら幸いだ。

 

亡きルー・タイスの多くの言葉に感謝を込めて。

ゴール達成は苦しい?

 

今日はゴール設定について。

 

ゴールはコンフォートゾーンの外側に設定することの重要性は嫌というほど言ってきたつもりだ。

 

だが、まだ言う(^-^)

 

魚が陸にあがることを進化と呼び、陸のことをコンフォートゾーンの外と呼んだ。

 

現実的に考えてみると、苦しいところになぜ行かないといけないんだ?と思う人もいるだろう。

 

そこのところを突っ込んで考えてみたい。

 

魚達の世界、海の中でライバルの魚も増え、その分餌にありつける頻度も減り、しかも自分を食べようとする魚も増え、しかもそいつ達もまた、飢えている世界があった。

 

毎日が食うか食われるかの世界だ。
その分大量に子孫を残そうと試みるが、ほとんどが卵からかえることもなく、食われていく。そして何とか卵からかえったとしても、稚魚の段階で食われていく。そして命からがら成長を遂げたとしても、大きな魚の大群に食われていく。

 

もう、やってられるか!!

 

という魚がいたとしよう。

 

この魚が陸を見た。

すると陸にはライバルもいない!餌もたくさんある!こんなパラダイスのような世界に住めたらどんなに素晴らしいかと思った。

 

コンフォートゾーンの外の世界とは慣れ親しんだ世界ではないので、緊張もするし、勇気もいるし、恐怖もある。そんな世界になぜ行きたいのか?

 

それはもちろん自分が行きたいからだ。

 

おわかりだろうか?

 

ゴールというのはあなたが心から望んだこうあれば超うれしい、楽しい、誇らしい、という感情を伴った世界のことである。

 

我々は幼少のころから努力を美徳とし育てられてきた。そしてHAVE TO(しなければならない)ですることを当たり前として受け入れてきた。そんな人がコンフォートゾーンの外のゴールと言われると努力を死ぬほどする世界、HAVE TOなことを死ぬほどする世界のビジョンが出ることがある。

 

そんなゴール嫌に決まっている。

 

ゴールはあなた自身が心からうれしい、楽しい、気持ち良い、ハッピーと思えるもののことだ。

 

だからこそゴールを達成したいのだ。

 

先ほどの魚も陸の世界が超ハッピーな世界に思えたから、ゴールを設定することを望んだのだ。

 

その結果が
うー苦しい!呼吸ができない!という出来事が起こり、このままではだめだ!なんとかしなければ陸に行けない!という問題が生まれ、そこで俺にはできるというエフィカシーにより肺呼吸という進化を生んだのだという順序を理解してほしいのだ。

 

まず、ゴールはあなたが感情を含めて心からハッピーと思える世界のこと。
そしてそれに向かっている最中が全て苦しくないことでなないということ。

 

そして、その苦しい姿をはたから見ていると、あんなしんどいことして努力家ねと思われるかもしれないが、当の本人は努力でもなんでもないということ。

 

つまり。ゴールを達成したいときにやることは楽しかろうが、苦しかろうがすべてがWANT TOであるということ。

 

今回はここを理解してほしかった。

 

そして付け加えると

 

なぜゴールが設定されたかというと魚は現状に不満を持ったからだった。

 

現状への不満こそがゴール設定へのヒントとなることを知っておいてほしい。

 

だからこそ現状への不満は大いに結構なのだ。

 

やってられるか!!と言ったあの魚だけが進化の道を遂げるのである。

アファメーションを毎日書くことの重要性

 アファメーションを毎日書くことがなぜ重要なのか、そのことを考えるために

・アファメーションの重要性

・アファメーションを毎日唱えることの重要性

・アファメーションを書く重要性

この3つに分けて考えたいと思う。

 

まず、アファメーションの重要性はといえば、脳に現状のゲシュタルトを選択させずにゴールのゲシュタルトを選択させるために非常に効果的だからだ。言い換えるとゴールを達成するための一番の早道だからだ。

 

  ルー・タイスの理論によれば、脳は一つのゲシュタルトしか維持することができない。そのゲシュタルトといえば通常は過去の積み重ねの現状というゲシュタルトが選ばれる。我々が何か夢をかなえたい。目標を達成したい。変わりたいと思った時に夢がかなわない、変わらないのはこの過去の積み重ねの現状というゲシュタルトが維持されてしまっているからだ。この現状を維持するというパワーは強烈で、強烈にもとに戻ろうとするホメオスタシスが働いているから。このホメオスタシスは生命が生きながらえるための機能でもあるので強烈なのは当然といえば当然といえる。

 

 セルフコーチングにしても、パーソナルコーチングにしてもこの現状VSゴールのゲシュタルトの選択の戦いにおいてゴールのゲシュタルトが選択させなければゴール達成することができない。つまり強烈な現状維持のパワーに打ち勝たなければならない。

 

  その方法論の代表がアファメーションといえる。

アファメーションという用語のほかにもセルフトークのコントロールや、ヴィジュアライゼーションといった方法論があるが、これらを機能させるためにアファメーションが必要である。

 

 例えば、すべてのセルフトークのコントロールは無意識を含めて考えるとコントロールするのは大変だ。実質アファメーションだけが自分をコントロールできる唯一の手段であるといえると思う。これらのことからアファメーションがゴール達成において重要な要因であるといえるだろう。

 

次に毎日唱えることの重要性だが、アファメーションは唱える回数が多ければ多いほど達成するスピードはあがるとルー・タイスは言っている。だから、毎日唱えるということは達成するスピードをあげることになるのだ。

 

 ルー・タイスも最低朝晩2回が望ましい。できれば5回唱えるとよい。と言っているので、毎日何回でも、多ければ多いほどよいといえるだろう。

 

 理論的には先ほど述べたようにやればやるほど、現状維持のゲシュタルトに代わって、未来のゴールを達成している状態を現実だと認識しやすくなる。このことが毎日(なるべく多く)唱えることが重要な理由だ。

 

 最後にアファメーションを書くことの重要性を考えたいと思う。書く

 

ということはその作業を通じて自分のアファメーションを見直すことにもつながることになると思うので、⑧の「記述の精度を上げる」ということが大きな利点であるといえる。

 

 また、書くという行為そのものが古来の、写経のような心を落ち着ける、瞑想のような効果があるようにも感じる。アファメーションを書くということは瞑想状態の中でゴールのイメージを徹底的につくりあげていくことに繋がるのではないだろうか。

 

 アファメーションを毎日書くことによりゴールのゲシュタルトが選択され、ゴールが達成される。アファメーションの機能を最大限に引き上げることができるのである。