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才能はゴール、DNAは個性

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

才能は、ゴールから芽生えます。ゴールはあなた自身が選ぶ、心からなりたいものです。そして、心からなりたいものを選ぶことは個性です。

 

どういうことか。

 

才能は生まれつきの能力であると思っている人がとても多いです。

 

私はこれに対して絶対的に反対の立場をとっています。生まれた後の能力が才能ですという立場です。

 

しかし、それに対してDNAという遺伝情報が才能を決めている場合もあるのではないかという意見がでます。

 

確かに、スポーツの場合は体の大きさに有利、不利はでます。

 

しかし、ゴールは自分が決めるのであって、親や他人や社会が決めるのではありません。

 

DNAという遺伝情報から生まれた体は、自分が持っている個性ではないですか。

 

その個性を、ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかはその人が決める解釈です。

 

ポジティブに捉えたら、それは素晴らしい個性となります。

 

その個性を持った存在がゴールを、自分独自のゴールを掲げる。それは本人が決めるのです。

 

体が小さいくて、スポーツでは何をやっても、勝てない。でも僕は勉強が好きだ。だから学者さんになろうとゴールを掲げる。そのゴールを掲げて、追いかけた結果、才能が発揮され、世界有数の学者になった。

 

このような場合、遺伝情報が才能を決めることは全くないと言えるのではないでしょうか。

 

DNAが私を作った。その私はこんな個性を持った。その個性からこんなゴールが生まれた。そのゴールから才能が芽生える。という順序です。

 

サッカー選手の、リオネル・メッシは子供の頃は体が小さかった。しかし、自分の得意のテクニックとスピードを生かして、プロサッカー選手を目指しました。そして、世界一のサッカー選手にまでなりました。それは自分の体の小ささも、テックニックも、スピードも個性だと認識し、しっかりとゴールを見据え、取り組んだ結果、世界一の才能が開花したのです。

 

遺伝や持って生まれたものは全て個性です。

 

それらは才能に一切の影響を与えません。

 

個性をポジティブに捉えてゴールを掲げるとは、自分にとって大好きなことをゴールを掲げるということです。そのゴールを達成する能力が私の主張する才能です。

 

少し、才能の捉え方が違うかもしれませんが、才能という言葉がこれから一般的に使われるならば、このように解釈するようにしてほしい。

 

才能が生まれつきで一部の人のものだという考え方では人の無限の可能性を発揮することはできません。

 

私たちは生まれたときからみんなが平等に自分のゴールを、自分の夢を望みます。しかし、その能力は本当はあるのに、叶えることが出来るのに、諦めてしまったりします。

 

それは自分には才能があるとは思えないからではないでしょうか。

 

私の仕事は、この才能を引っ張り出してくることなのですが、本人が自分にないと思っていてはどうしようもありません。

 

だからこそ絶対に伝えたいのは、才能は生まれつきではないということ。ゴールと共に芽生えてくるということです。

 

そろそろあなたも、才能に目覚めるときなのかもしれません。

 

Dreams of travel

 

 

才能があるかないかは自分で決める。

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

才能があるのかないのか決めているのは誰ですか。

 

才能という言葉が一般に使われている語感をみてみると、何やら、自分ではない誰かが使っている表現に思えてしまいます。

 

才能があるのかないのかを決めるのは自分です。

 

他人が自分のことを見て「才能があるね」とか「ないね」とか。と言いますが、お前が俺のことを決めるなと言ってしまいましょう。(心の中でですよ)

 

才能はゴールと共にあると、以前書きました。

 

ゴールを決めるのは自分です。自分だけのものです。

 

ゴールを決めた後にそのゴールを達成するための才能は生まれてきます。

 

その才能の開花を信じるのも自分だけなのです。

 

他人に才能があるかどうか言われる筋合なんてありません。

 

そもそも、あなたのゴールを知りもしないのにあなたに干渉してくるのはおかしな話なのです。

 

たとえ、才能があるねという肯定的な言葉であったとしても、同じです。

 

才能はゴールがあって芽生えるもの。

 

 

その才能があるかどうかは、自分がゴールを達成できるかどうかを信じることにより、確信することにより、表れてきます。

 

自分を信じることができるのは自分だけです。

 

才能があるかないか決めるのも自分だけなのです。

 

そして、その才能は必ずあります。いつか必ず見つかります。

 

自我

意志の力と確信の力が才能を呼び覚ます

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

今回も才能についてです。前回のブログで才能開花の鍵はゴール設定にあると述べました。

 

しかし、このゴール設定、実は奥がとても深いのです。

 

コーチングにおいてはイマジネーションの限界が可能性の限界という言葉がありますが。この意味を少し考えてみましょう。

 

ゴール設定は現状の外に設定しなくてはなりません。しかし、現状の外にイマジネーションを持てるでしょうか。現状の外とはきわめてイメージすることが難しい空間でもあるのです。

 

現状の外をイメージする力とはなんなのでしょうか。可能性の限界を超える力とはなんなのでしょうか。

 

答えから言うとそれは、意志の力であり、絶対にいけるという確信の力なのです。現状の外をイメージできないのは単に見ることができないという意味もありますが、それでも我々、人類という生き物は現状の外に飛び出したいという希望であったり、憧れがあります。(ない人ももちろんいます)

 

夢を持ってしまう。もっとよりよくなりたいと願ってしまう。生き物なのです。

 

その意志の力があるからこそ、現状の外に興味を持つのです。しかし、そこで芽生えるのがどうせ無理だなとか、怖いよなとかいう感情です。この感情が邪魔をして現状の外に向かう意志の芽を摘んでしまいます。

 

そこで重要なのが、私なら必ず現状の外にいけるという確信です。確信する力です。ゴール達成のための能力の自己評価のことをエフィカシーと呼びますが、現状の外に行くことができるという自己評価、それを確信する力を含んでエフィカシーです。不思議なことにエフィカシーは恐怖心や不安に打ち勝ちます。

 

意志の力とエフィカシーがあって初めてイマジネーションの限界すなわち可能性の限界が突破されるのです。

 

これは逆に言うと自分の内なる可能性、自分の中に眠る才能を開花させるためには強烈な意志の力と強烈な確信の力が必要になるということです。

 

現状の外のゴールに対して、超なりたいという意志の力と、私なら絶対なれるという確信の力です。

 

それを持てたときにあなたの才能が開花されると理解してください。

 

そしてコーチングとは、その才能を引っ張り出すことです。認知の世界はとても深淵です。我々は皆、深淵な認知の一部分だけしか見ることなく、人生を生きています。私たちはもっと深いところにある才能にアクセスできるのです。

 

私たちはもっと豊かになる才能が確かにあるのですよ。

 

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捨てられた才能を呼び戻す

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

前回のブログで、ゴールのない才能なんてないという説明をしました。今回は補足です。

 

実は人間の能力は生まれたときにはすごい能力を持っています。赤ちゃんの時には生得的にたくさんの能力を持って生まれてきているのです。

 

しかし、この物理空間で生きるために、若しくはこの社会で生きるために、あまり役立たない能力は捨てていくのです。

 

脳が物理空間と社会に適合するために、最適化をしていく過程で必要ないとみなした能力が失われていくのです。

 

違った言い方をすると、脳はスコトーマの原理により自分にとって重要であることとないこととを振り分けて重要であることだけが意識にあがります。

 

重要である能力は残りますが、重要でないと判断された事柄を達成するための能力も捨てていくのです。

 

捨てていくと述べましたが、能力が完全に失われたわけではありません。パソコンにあるゴミ箱と同じようにゴミ箱フォルダに移動しているだけです。

 

ということは、ゴール設定により、重要性を置き換えることにより、ゴミ箱フォルダから復活させるのと同じように、能力は蘇るということです。

 

才能の発見とは自分の中で使われずにどこかに捨てられた能力をもう一度、引っ張り出してきて使いだすということです。

 

その為に必要なポイントはやはりゴール設定です。

 

ゴール設定により、自分の認知の重要性を変えることで引っ張り出すのです。

 

あなたはどんなゴールを掲げますか。

 

B

 

 

ゴールのない才能なんてない。

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

今回は才能について。

 

才能について誤解されていないでしょうか。

 

「自分にも才能があれば成功できたのに」という言葉がよく使われますが、順序が違います。成功を目指したから才能が発揮されたのです。

 

どういうことでしょうか。

 

私はよくセミナーでイチローや本田圭祐の小学生の文集を紹介しています。イチローや本田が昔から才能があったから成功したと解釈しがちですが違います。文集を見てみるときちんと現状の外にゴール設定をしているのです。そしてそのゴールを心から願って追いかけてきたことがよくわかります。

 

ゴールを設定して、それに一歩づつ近づいてきたのです。才能というのはゴールがあってそのゴールを達成するための能力のことなのです。

 

ゴールを達成できるか否かは、もともと生まれ持った才能ではなく、自らの意志で設定したゴールをどれだけ達成したいかという意志の力と一体となったものです。

 

X-menなどに代表される能力系の映画がよくありますが、それらの映画を見ていると何か神秘的な才能が元々ある人がいて、そんな人が才能を発揮して悪を退治する。といった内容が多いですが、才能に対してもう一歩進んだ理解をしていただきたい。

 

ゴールなくして才能なんてありません。もっと言うとゴールを設定することにより才能が芽生えるのです。才能を発見するためにはあなたの追いかけたいゴールがなんなのかという問いが大切なのです。

 

Happy kid playing with toy airplane

 

 

クリエイティビティ―を発揮して成功する

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

今回はクリエイティビティ―について。

 

クリエイティビティ―とは0から何かを作り上げることができる能力のことを言います。

 

既に出来上がっているものを改善したり、誰かの真似をして似たようなものを作ることにクリエイティビティ―は必要ありません。

 

とはいうものの、ベースとなる知識のほとんどは他の誰かが発明したことやものですから、全くの無から有を作り上げることではありません。それは神の領域になってしまいます。

 

我々がクリエイティビティ―を使ってつくりあげるものとは今まで習得してきた知識を使って、その知識を一つ上のゲシュタルトを作ることとなります。

 

そしてそのゲシュタルトの作り方が今までにないものが作り上げられたときに、それが付加価値となり、有名になったり、お金持ちになったりするのです。

 

お金持ちの場合であれば、もちろんその過程において商品化していくことや、マーケティング活動とセットとして広めていく必要性がでてきますが。

 

いずれにせよ、私たちがこの社会で成功したいと望むならばクリエイティビティ―が必ず必要になってきます。

 

好きなことや、興味あることを徹底的に突き詰めて、その領域における大量の知識を手に入れてそしてその知識から新たなゲシュタルトを創る。

 

権力の階層を上るような活動ではなく、この社会でのオリジナルな成功を望むならこの方法以外はありません。

 

だからこそ、好きなことやワクワクすることをやることが大事なのです。

 

そのカギは趣味にあるかもしれませんね。

 

Human head silhouette with focus on the brain

ドリームキラーに出会いました。

こんにちは。山本敦志です。

 

先日、とても嫌なことを言われました。

 

私自身コーチとして活動していますが、ゴールを言いまわりながら生きているわけではなく、普段は普通に生活しています。必要に応じてゴールを言ったり、心の中にしまっておいたりします。

 

そして、設定したゴールとは違った現実が起こることもあります。もちろんその先の未来には必ず自分が設定したゴールが達成されると確信しているわけですが、そのプロセス、山でいうなら上っている最中には想定外のことやうまくいかないことも起こります。

 

当然と言えば当然で、そのことを乗り越えながらゴールを達成していくわけです。

 

しかし、そのうまくいっていない時にここぞとばかりに発言、評価、評論、意見してくる人が出てきます。私もそういう人に巡り合ってしまいました。

 

私は「わー、ドリームキラーだ!」と興味深く、発言を聞いていたのですが、このドリームキラーといいう存在、本当に悪気がないようでした。

 

だからこそ、たちが悪い!!!

 

ドリームキラーには絶対にゴールを言ってはいけません。若しくはゴールに関わるアドバイスは無視しないといけません。

 

ドリームキラーは悪い人という意味ではなく、その人のためを思ったことを言っているつもりでもその言葉に込められた情報内容がドリームキラーなのです。

 

具体的に言うと

 

やめておけ!

チャレンジするな!

みっともない!

カッコ悪い!

などという情報内容が込められた言葉を、さもきれいなパッケージで包んであなたに送り届け、あなたのゴール達成へ向けたチャレンジを阻害します。

 

その人があなたのことを本当に大切に思っていたとしてもその人のドリームキラーたる情報内容は別物として存在してしまいます。

 

だから、あなたがその人に大切に思われていることと、その人の自分のゴールに関わる発言とをきちんと分けて捉える必要があるのです。

 

結構、こんがらがってしまいがちですが、きちんと分けることは重要です。

 

ゴールとはあなた特有のものだと理解してください。

 

別に他者と共有する必要など、もともとないのです。あたな自信が心から達成したいと思っていれば他の誰かがどうこう言おうが全く関係ないはずです。

 

この世の中、冷静に見回してみるとほとんどの人がドリームキラーの要素を秘めているかもしれません。だからこそコーチングが必要であり、だからこそコーチという存在が必要であると言えるでしょう。

 

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言葉をコントロールせよ!

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

久しぶりに師であるルータイスの本を読んでいます。ルータイスは我々に無限の可能性があり、自分に投げかける言葉をコントロールすることにより、その無限の可能性は発揮されると言っています。

 

一般に言葉がそれほど重要だと思っている人はすくないのではないでしょうか。

 

しかし、我々の自我とは子供の頃から自分以外の誰かから言われた言葉を受け入れたことによりつくられているのです。

 

例えば「あなたはドジね」と子供の頃に言われ、「自分はドジなんだ」と受け入れたことによりドジになるのです。

 

「あなたはスポーツは得意だけど、勉強は苦手ね」と言われ、「自分はスポーツは得意で、勉強は苦手なんだ」と自我に書き込んでしまうのです。

 

その結果、勉強が出来なくなってしまいます。

 

私はどういう人?という問いかけに対して出てくるのはこのような自分に投げかけてきた言葉と受け入れてきたという事実により作られた情報です。

 

まずは、言葉とはそれほどの威力があることを知ってください。

 

その威力を知ることにより、そしてその威力を自分が今からなりたい自分にふさわしい言葉に変えていく為に使うことにより、自分の中の可能性が発揮されていくのです。

 

今は亡きルータイスが我々に自由に生きることを願い、書き残した情報です。

 

言葉をコントロールしましょう。

 

最後にルータイスの言葉を引用します。

 

「私はもっと大きな人間になれる。もっと多くのことができる。もっと多くを手にすることができる。まずは自分のことから始めよう。自分に語りかけることで可能性を切り開こう」

 

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人生の楽しさはゴールに向かって行動することの中にある。

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

今回は行動の大事さです。

 

やる前に色々と思索するのはいいことです。しかし、実際にやってみないとわからないことはとても多い。

 

ですからまずは行動してみましょう。やる前とやった後では考え方も変わってきます。やった後の自分には行動した後でないと出会えません。

 

我々はスコトーマが働くことにより、認知できる範囲はごくごく限られているのです。ですからスコトーマの外を認知するためにはゴールを掲げて行動するしかありません。

 

行動し、どんどんと前に進みながら嫌になったり、思ったのと違ったりすればやめればいい。そしてまた新たなゴールを掲げて前に進む。

 

スクラップアンドビルドです。

 

疲れたら少し休む。

 

そしてまた前に進みましょう。

 

少しでもやってみたいなと思ったらやってみましょう。少し無理かなと思うような壁の高いゴールであったとしても、すぐにあきらめるのではなく、少し近づけるように行動しましょう。

 

行動し、考える。そしてまた行動し、考える。

 

この前に進む道のりこそが人生の楽しさが転がっている場所です。

 

さあやりたいことをやりましょう。

 

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うちの父ちゃん、あほやねん!とコーチング

こんにちは。コーチ山本敦志です。

 

以前読んだ本で確かこんな内容が書かれていました。著者は仏教学者のひろさちやさんです。「うちの父ちゃんあほやねん」というおばちゃんについてです。

 

「うちの父ちゃんあほやねん」というおばちゃん、父ちゃんとは旦那さんのことです。まずは大阪文化という背景の中でのことと断っておいた方がよいでしょう。そしてそう表現しているおばちゃんの顔には愛情がたっぷりと感じられる表情をしているといった場合の「あほ」とは何かというテーマだったと記憶しています。

 

 

コーチングでは特にセルフトークを重要視しており、自分に投げかける言葉だけでなく、他人に投げかける言葉も肯定的な言葉を使うように私も指導しています。しかし、この場合の「あほ」に対して、そんな言葉は使ってはいけませんという必要があるでしょうか。

 

私は、このおばちゃんに対してそんな言葉を使わないようにしましょうとはいいません。

 

なぜなら、大阪文化において、そしてこのおばちゃんの世界において「あほ」という言葉自体すでに肯定的だと判断されるからです。

 

それは表情が語る意味が重要であり、その表情が愛に満ちた状態で使われた言葉であるならむしろそれは素敵な言葉となります。

 

我々は言葉に気をつけなければなりません。しかし、実はもっと重要なのはその言葉の中にある情報の方なのです。

 

ほとんどの場合は言葉が表す意味と心の中の情報とが合致しているので、言葉の選択を気をつけるという行為に大きな意味があるのですが、大切なのはその言葉がどんな状況でどんな意味合いの中で使われるかということです。

 

「うちの父ちゃんあほやねん」という言葉ももしかしてそのおばちゃんは

 

金融資本主義の中でカネの亡者たちがはびこるこの世の中で、うちの父ちゃんはカネの洗脳には屈しない尊敬できる存在だ。だから世間からは稼ぎが少ないなどと馬鹿にされることもあるが人としての愛情には溢れている。私はそんなあなたを愛している。

 

という意味が含まれているかもしれません。

 

そんな気が伝わると「あー、おばちゃん、父ちゃんのことが好きで好きでたまらないのね」とわかるのです。

 

我々は言葉を使ったコミュニケーションをしています。しかし言葉はあくまでもその奥にある情報を伝えている手段なのです。

 

その奥の情報を自分にとって好ましいものに変えていくことがコーチングの目的です。

 

自分の使っている言葉、他人が使っている言葉をそんな風に捉えて今日一日観察してみてください。きっと世界が広がって見えるはずです。

 

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