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苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
親御さんであれば、子供に勉強をしてほしい。でもいくら勉強しろと言っても、しない。遊んでばかり。
どうすれば勉強のやる気がでるんだろう?
このように思っている方は多いのではないだろうか。
この問題をコーチング的に解釈して考えてみよう。
まず、勉強という点において。
勉強は大切だ。生きていく上で一番重要と言ってもいいぐらい重要だと思っている。ゴールを叶えていく過程において、常に必要になってくるのが知識である。知識の習得なくしてどんなゴールも達成することはできない。
知識の習得という意味の勉強の大切さは親御さんと同じように思っている。
このことを前提として話をすすめる。
次にやる気についてみてみよう。
あなたはやる気とはなんだと考えているだろうか。
やる気とはホメオスタシスである。ホメオスタシスとは恒常性維持機能のことである。例えば体温などがこれにあたる。恒常性を常に維持しているのだ。風をひいて、ウイルスが侵入したときには体温をあげてウイルスを撃退するが、撃退し終われば元に戻る。36,5℃が平熱の人であれば、その一定の状態を常に維持している。
やる気がでない理由はこれと同じで、もとの状態に戻ろうとする心のホメオスタシス機能が働いているということなのだ。
これを知らずに勉強しろといって、強制的にさせても結局のところ元にもどってやらなくなってしまう。これを繰り返すうちに勉強しろという行為自体が無意味に思えてきて、言うこともやめてしまう。
そんな感じでなないだろうか。
では、いったい何が間違っているのか。
この問題の鍵は
子供がWANT TOかHAVE TOか、、、、、である。
WANT TOとはしたいこと
HAVE TOとはしなければならないこと
子供にはWANT TOしかさせてはならない。
HAVE TOは一切させてはならない。
HAVE TOにはホメオスタシスが働いてしまうのである。色々なやらない理由を考えだして結局やらない状態を作り出す。
こんなことをさせても意味はない。
どころか子供の大切な自尊心を傷つけてしまうだけであり、絶対にやってはいけないことに属す。
考えてみてほしい。
勉強しろ、しろ、と言われて、やらない。そしてその結果、テストの結果が悪くて、叱られる。あなたが勉強しないからでしょ。なんて言われる。
そのことにより、子供はなんて思うだろう?
俺はダメなやつだ!
こんなことを思わしてしまえば、本当に勉強が嫌いになるし、自分をダメなやつだと設定して、その通りの行動をはじめてしまう。
簡単に言うと馬鹿なやつだと設定することにより、馬鹿になってしまうのだ。
だから、絶対にHAVE TOはさせてはいけない。
WANT TOだけをさせてあげるのだ。
WANT TOのことをやるときはホメオスタシスは逆に、もっとできるようになりたい、もっと成長したいというところに働くようになっている。
無限に成長していくことができるのだ。
WANT TOだけやるなんて遊んでばかりで、ゲームばかりで勉強しないのではないだろうか。と思われるかもしれない。
このことに関してはそうかもね。としかいえない。
その子供のWANT TOはその子供独自のものだからどんなWANT TOかはわからないし、干渉すべきでもない。
そこで、親御さんができることは教えてあげることだと思う。
冒頭でも述べた、勉強の大切さだ。
子供だって夢を持ちたいし、叶えたいと思っている。
そんな気持ちを信じてあげて、その夢を叶えるためにも勉強は大切なことなのよ。と教えてあげてほしい。
大人にできることはこれだけだ。
地球上には66億人の人間がいる。66億人の人間がいれば、66億通りの人生がある。それはその人だけの人生であり、かけがえのないものである。
思う存分、自分の人生を自由に生きていってほしいと思う。
その為には、WANT TOで生きることを選択すべきだし、WANT TOで生きてよいよと許可を与えてあげることが親の仕事なのではないだろうか。
そしてそんな子供は必ず夢を持つ。
なりたい自分が生まれてくる。
そんな子にこの社会でその夢を叶えるためには勉強が大切なのよ。とだけ教えてあげれば、そしてその子が納得すれば勉強がWANT TOに変わるのである。
「勉強のやる気がでない子供を天才に変える方法」というテーマでセミナーを開催します。
脳科学、心理学、コーチング、という視点から子供を天才に変える方法をお伝えしようと思っていますので、是非ご参加ください。詳細はこちら
苫米地式コーチング認定コーチの山本敦志のブログ
ディズニー映画『ズートピア』を見た。
非常によかった。おもしろかった。
コーチングに携わる僕にとっては、是非みんなに見てほしい映画である。夢をあきらめない気持ちがあれば、夢は実現するということが学べる映画である。やはりディズニーは素晴らしい。
ところがだ。
最後の最後に椅子から転げ落ちそうになった。
なぜかというと、最後に主役のウサギがスピーチするシーンがあるのだが、内容は忘れてしまったが、大切なことは「トライ」と言っていたのが字幕スーパーは「努力」と訳されていたのだ。
トライはご存じのように、挑戦するとかやってみるとかいう意味である。努力ではない。
何故、努力という言葉を選択したのだろうか。非常に気になる。
結局のところ日本人に「大切なことは努力である」と植え付けたかったのかと疑いたくなる。
ディズニーの解釈は自分の夢につながると思えること、本当にやりたいことはとにかくやってみようよという意味なはずだ。それが「トライ」なはずなのではないのか。
それを努力と訳してしまえば、成功するためには、その途中段階では「しなければいけないこともする必要がある」との意味合いとして受け止められてしまうじゃないかと思った。
努力の時代は20世紀に終わったと僕は思っている。
21世紀はこころから「やりたいことをやる」時代だと思っている。
ディズニーが言いたいことも絶対そうなはずだ。
大切なことは「トライ」である。自分が選んだ夢につながりそうなことをやってみる、挑戦してみることである。
決して努力ではない。この翻訳は正してもらいたいと思う。
苫米地式コーチング認定コーチの山本敦志のブログ
コーチングを受けたり、アファメーションをしたり、自分の達成したいゴールを掲げ生きていく。しかし、そのゴールが達成されないときの話をしようと思う。
コーチングやアファメーションは非常に優れた自己実現方法だ。しかしこれらをおこなってもすぐにゴールが達成されるわけでもなく、時に長い時間がかかる場合があるかもしれない。
そんなときに、やってはいけないことがある。
それは諦めるということ。
諦めた段階ですべてが終わる。
達成過程においてもう無理かも。やっぱり夢物語なんだ。だまされただけだ。などと心の声が聞こえてきてゴールを掲げることをやめてしまおうなんて思うときがあるかもしれない。
だけど、やめてしまえばその未来は必ずやってこない。
逆に諦めなければその未来は必ずやってくる。
必ずやってくる。
未来は待ってればやってくる。どんな未来がやってくるかはゴール設定した未来がやってくるんだ。
そのゴールの旗を降ろしてしまえばやってこない。
心の葛藤は色々ある。
しかし、諦めるということだけは絶対してはだめだ。
そのゴールは達成されると確信しよう。
僕も共に確信する。
必ず掲げたゴールはやってくる。
学校教育関係者様へ
はじめまして。苫米地式コーチング認定コーチ兼苫米地インスティテュート認定パフォーマンス・エンハンスメント・コーチの山本敦志と申します。
弊社は現在は芦屋、神戸を中心にコーチング理論の普及に務めております。
この度、子供向けにセルフコーチングのプログラムの導入へ向けて、ご提案をしていきたいと存じます。
コーチング創始者ルー・タイスと認知科学者苫米地英人が作り上げたセルフコーチング理論があります。セルフコーチングとは夢を叶えるためのマインドの使い方を学ぶことでございます。ルー・タイスが40年間の間に心理学者を中心に超一流の様々な学者が結集し作り上げたコーチング理論に認知科学者苫米地英人が参加し更新された、コーチングプログラムです。
学校教育では教えられないマインドの使い方を学ぶことにより、子供は無限の可能性を発揮していくことができます。
子供一人一人は独自の才能を持っており、また独自の世界観を持っています。そしてその個性を最大限に引き延ばすためには現代ではコーチングの導入は欠かせないと考えております。
弊社は様々な教育機関に向けて、あらゆる時間帯、あらゆる人数に対応し、柔軟に対応していき、コーチングの有効性を発揮していき、夢を叶える子供を増やしていきたいと考えております。
コーチング導入のお考えのございます教育関係者の方がおられましたら、お気軽にお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
5月18日と24日に「子供を天才に変えるたった3つの方法」というテーマでセミナーを開催します。
ルータイスのセルフコーチング理論と苫米地式コーチングの理論を盛り込んだ子供の教育に関わる方向けのセミナーです。
やはり、コーチング理論やノウハウは子供向けに使ってほしい。タイス式、苫米地式共世界最高のコーチング理論だと思いますので、是非参加して頂き、ご家庭や教育現場などで使っていただきたいと思います。
もともと子供は天才だと思いますがその成長過程で平凡であることが望まれ、そしてそれをいつの間にか受け入れ、今の現状があるのではないでしょうか。
子供が天才であり続けるための方法をお伝えしますので、気楽に参加してみてください。
セミナー情報 子供を天才に変えるたった3つの方法
山本敦志。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
コーチングとは別人になってもらうことである。
これを聞いて今いち、ピンとこない人がいるかもしれない。がしかし、そういうことである。
ウィキペディアより、コーチングの基本と謳われている部分を抜粋する。
これがなければ学習効果は決して上がらない。 自ら学ぶ、自ら問題を解決する、という姿勢を作り出さなければならない。
すべての人間に個性があり、理解が早い人も遅い人もいる。個人の能力をそれぞれ伸ばすためには、同じ課題を与えても結果は異なることを前提とし、個人に対する観察、把握、分析が必須である。
表情や動作などの非言語によるコミュニケーションを含め、コーチングを行う上での基本。 自分の主張だけをしたり、あらかじめ用意されたテキストや質問を読み上げるだけでは、コーチングにはならない。
コーチングを受ける側に、考えて自ら問題を解決する力をつけさせるのが、コーチングの最終的なゴールとなることを忘れてはならない。
らしい。
これらはコーチングをする上での具体的な方法論の話であり、コーチングの本質を表しているとは私は思わない。しかし、巷ではこれらの具体的な方法論が、まるでこれらこそがコーチングだと言わんばかりに独り歩きしているように感じる。本質が置き去りにされてしまえば、骨抜きにされたも同然だ。だからこそ今回は本質部分を強調して言いたいと思う。
なりたい私。
ゴールを達成している私とは
現状の私からすると完全な別人なのだ。
現状の私がずっと続いた場合の未来も含めて、現状という。現状という言葉には現在とその延長上の未来が含まれていると理解してほしい。
その現状から離れて、違う時間軸を作り出す。そしてそちら側に現在の意志の力でたどり着くことが本来のコーチングが目指す意味なのである。
それは現状の私が続いた場合になる私とは、全くの別人なのだ。
別人になるためにゴールを設定する。そんな視点を入れるとまたひとつスコトーマが外れるのではないだろうか。
ゴールを達成することにはもちろん価値があるが、別人になることにも同じ価値がある。
しかしだ。ゴールを達成したいかと問われれば、イエスと答えるだろうが、別人になりたいかと問われればあなたならどうこたえるだろうか。
人によってはノーと答えるかもしれない。
その人の無意識は現状を肯定している可能性が高いのである。
現状のホメオスタシスにより引き戻されるということだ。
それではこう質問すればどうだろうか?
現状の私では達成不可能と思えるゴールも、そのゴールが達成できそうな別人になることが可能だとすればあたなは別人になりたいですか。
少しは別人になってもよいと思ったはずだ。
改めて言うが、コーチングとはゴール達成にいざなうことであり、ゴール達成するとは別人になることである。つまり、コーチングとは別人になってもらうことなのである。別人とは他の誰かになるという意味合いではなく、自分の自我を変えるということだ。別の自我を手に入れるということだ。
年収300万円の人が
年収1億円になるということは
年収300万円の自我から年収1億円の自我に変えるということである。
ウィキペディアに記載されていることはあくまでも具体的方法論である。(その方法論が正しいかどうかはここでは検証しないが)
コーチングの本質は現状に対して別人になること。自我を変えることなのである。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
微力ながらお手伝いさせていただきます。
微力ながら一生懸命頑張ります。
という言葉を聞いて思うことがあるのでそのことについて触れてみたい。
まず、自分で微力と言っている段階で好ましい言葉の選択とはいえない。しかし、日本では謙虚が美徳とされるので、相手に与える印象をよくしたいという意味合いではまあ良いかなとも思う。
ただし、その場合はあくまでも、社交辞令的にこの言葉を使っているという自覚が必要だ。
高いエフィカシーを維持するために、セルフトークに気を付けている人は絶対使ってはいけない言葉になる。
なぜなら、あなたの力は微力ではない。もし微力と言ってしまえば、微力しか出ないし、微力の持ち主になってしまう。
微力ではゴールを達成させる力は弱いし、叶う可能性も圧倒的に下がる。
心の中では「すごい大きな力で」と思っているがコミュニケーションの関係において角が立たないように裏腹な言葉の選択としての「微力ながら」はOKだが、心の中も「微力ながら」と思っていたらだめだ。
だからすごい大きな力でお手伝いします。私はすごいですから。というべきなのである。
これがエフィカシーであり、そう思っている人は本当にすごい力がでる。それを知っていると自然にそんな言葉がでてくるものだ。
謙虚は美徳という文化はそろそろ変えてもよいのではないか。
もちろん、鼻につく人になるかもしれないが、時代を超える先駆けとなる人は大いに鼻につく人になってはどうだろうか。
若しくは、建前として謙虚を使う。そんな選択肢を選ぶか。それもよい。
しかし、絶対に心の中では「微力ながら」はNGだ。覚えておいてほしい。
またこのテーマでもう一つ触れておきたいのは、心の中で「微力」としか思えない場合のことだ。
私の存在価値が低いといってもよいかもしれない。
この場合は抽象度を上げることを意識してみて欲しい。
抽象度をあげると視点があがる。
スポーツにおいても選手は一つの駒としての動きが望まれる。その場合は確かにサッカーでいえば11分の1、野球で言えば9分の1になるので確かに微力になるかもしれない。
しかし、監督という視点にたてば、おのずと微力という言葉を選択しないだろう。大きな力を振るうポジションに位置するのだから。
もっと抽象度をあげるとそのチームのオーナーの視点でチームのことに対して、仕事をする場合はチームに対してもっと高い影響力を発揮する。
その場合には「微力ながら」という言葉は使わないだろうことは理解できると思う。
なのでどうしても、「微力ながら」としか思えない人は抽象度という考え方を意識し、視点をぐぐっと上に持ってくるトレーニングをしてほしい。
エフィカシーと抽象度を上げる。
すると「私のすごい力をお貸ししましょうか」という言葉が生まれる。
または「私はすごいですから」という言葉を使い続けることにより、エフィカシーと抽象度が上がる。
両者は双方向的な関係なのである。
苫米地式コーチ 山本敦志です。
4月30日の勉強会無事終了しました。
セミナーから意識の高い方が集まっての勉強会でした。そのため、勉強会も非常に有意義な会とすることができました。
なぜゴール設定が必要なのか。
ゴール設定をしなければどうなるのか。
どんなゴール設定をすればよいのか。
ゴールを達成するためにはどうすればよいのか。
これだけの内容をてんこ盛りにのせた勉強会でしたが、リラックスした雰囲気の中で多くのことを伝えることができたと思っています。
おかげでアファメーションを解説する時間が取れなかったのでまた改めて会を作ろうと思っています。
事情があって芦屋の地での開催が続いており、これからもしばらくは芦屋でセミナー、勉強会、ワークショップと開催する予定にしています。
ご興味のある方はセミナー開催のページにて、随時案内してまいりますのでご覧になってください。
それにしても今の気候は気持ちがよいですね。芦屋川沿いの会場も日本でも指折りの住宅地であることがうなずけるきれいな場所です。そんな場所でのセミナー等の開催!エフィカシーがあがること間違いなしです。
では次の機会に!
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
今日は子供に対してのコーチングに触れたい。
コーチはクライアントのゴールには関わらない。
これはコーチングにおいてとても重要なルールだ。
ゴール設定をするのはクライアント自身であり、コーチがゴールはこんなのがいいわよ。そんなゴールはいまいちね。なんて絶対言ってはいけないし、思ってもいけない。
コーチとクライアントという関係性においては誰がきいても当たり前と思うようなことが、子供に対しての親や指導者はできていないケースが多い。
子供に対して、そんなゴールよりこっちのゴールがいいんじゃないのなんて言ってしまったりする。しかもあなたのために言ってあげているのよなんて思っているからからたちが悪い。
子供は未熟である。当然、大人のように経験がないのだからそれは仕方がない。その中で子供なりに思考し、思索し成長しようともがいているわけだ。そんなときにこっちは危ないからこちらの道に進みなさい。ということを教育と思っているようなら大間違いだし、親や指導者が考え直さなければならない。それは依存関係を作り上げることにしかならない。
子供にとって大事なことは自分で考える力を養うことであり、そのために必要なことは自分でゴールを決めてそのゴールの過程で起こることを自分が解決していくことなんだ。
では親や指導者は何ができるのか?
それはコーチングのコーチの役割と同じである。子供が僕が、私がこんな難しい問題を解決できるだろうかといった不安になった時に君ならできるよと信じてあげることだ。
信じていないから手を差し伸べてしまうのだろう。子供の可能性を信じてあげていない状態でこっちの道がいいわよ。と言わないほうがいいのではないだろうか。
よく子供は皆、天才!
子供には無限の可能性がある!
などと言われる。
その通りだと思うが、子供にとってごくごく身近にいる親や指導者は本当に心からそう思っているだろうか。その目に前にいる子供に対して無限の可能性があると信じてあげることができているだろうか。
コーチングにおいてのコーチはクライアントのゴールに関わらない。
このことを子供に置き換えていうと親や指導者は子供の夢に干渉しないというこである。できることがあるとすれば、その夢を君なら叶えることができるよ。と思ってあげること。そしてその思いを込めて言ってあげることだ。
まずはこのことを肝に銘じてほしい。
そしてそれができたら次のステップに行ってもらいたい。
君ならもっと大きな夢を叶えることができるよとゴールを引き上げてあげることだ。
これがコーチングであり、親や指導者はこのような指導をしていくことこそが子供の無限の可能性を引き出すことなのである。
もちろん、危なっかしくて見ていられない。介入せずにはいてもたってもいられない。そんなことをしたらこっちの身が擦り切れる。夜も寝れない。と思う気持ちが出てくるかもしれない。
しかし、介入は依存を生み、依存状態は子供の可能性を閉じ込める。
大人も葛藤しながら共に成長していくものだと思う。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
どうすればゴールは達成されるのか?
我々は認識するということにおいて、同時に二つのゲシュタルトを維持できない!というところから入ってみよう。
これはどういうことかというと現状の私とゴールを達成する私は同時に存在できないということだ。
現状の私にとってみればゴールを達成できていない。理由はゴールの達成の仕方がわからないからである。わかっていれば現状はゴールを達成している状態になっているはずである。
現状の私がゴールの達成方法がわからないのは現状の私の場にいているからだ。
その場からはゴールの達成方法が見えないのである。これがスコトーマの論理だ。
ではどうすれば見えるようになるのか?
答えはゴールを達成した場に行くのである。
ゴールを達成した場に行けばゴールの達成方法が見えてくるというカラクリだ。
しかし、ここで問題が出てくる。冒頭で述べたゲシュタルトは一つしか維持できないという脳の認識作用により、現状とゴールのどちらかが選ばれなければいけない。そしてゴールを達成した場のゲシュタルトを選択させなければならない。
ここでもうひとつキーワードを知っておく必要がある。どちらのゲシュタルトが選ばれるかは臨場感が強い方ということだ。
つまり現状の臨場感よりもゴールの臨場感の方を強める必要があるのである。
これはちょっとやっかいだ。
なぜなら現状とは我々にとって臨場感マックスな状態といってもよいだろう。目の前に広がっている世界が現状なのだから。
ここを打破することが超重要事項なんだ。
目の前に広がっている現状と思われる世界よりも強い臨場感で持ってゴールをイメージする。
現状よりもゴール達成した世界こそが当たり前と思える状態を脳内で作り上げる!!
するとまずはスコトーマが外れてゴールの達成方法が見えてくる。
それはまるでどこか遠い場所に置き去りにされても必ず自分の家にまで戻ってこれるような現象と同じだ。
ここでいう自分の家にあたるものが現状の私なのか、ゴールの私なのかが全てを決める。
仮に自分の家にあたるものが現状の私であった場合は現状の私の元に帰ってきてしまう。
だからこそゴールの私が当たり前になるまで強いイメージを作り上げる必要があるのだ。
その方法は色々ある。
セルフコーチングにおいて代表的なのはアファメーションであり、パーソナルコーチングではセッションがそれにあたる。
セルフコーチングの話はこれまでもブログで触れてきているのでそちらに譲るとして、少しパーソナルコーチングを紹介しておこう。
パーソナルコーチングのセッションの空間とは強制的にゴールの臨場感に導く。自分ではうまくできなくても、コーチはゴールの臨場感がガンガンに上がっていくようにしていく。
もしゴールの臨場感があがらず、現状の臨場感があがるようならそれはコーチングとは言わない。そのコーチはやめた方がよいと思う。
セルフコーチングはどうしても変わりたいのも自分であれば変わりたくないのも自分なのでそのジレンマの分だけうまくいかなかったり、時間がかかったりする。
それに比べるとパーソナルコーチングはよい意味で無意識に強制的に変わることを促していくようにするために効果ははるかに高い。
どちらにしろコーチング抜きにして変わることは難しいのである。