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カテゴリー別アーカイブ: コーチ山本敦志のブログ

愛犬と散歩

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チャックと芦屋の浜に散歩に行ってきた。
気持ちのよい日でした❗

チャックもご満悦。

気功とアファメーションの類似点

 

気功とアファメーションと言えば、全然接点がないように思うかもしれない。

 

ある点でつながっている。そしてゴール達成を願う人にとってのツールと考えれば、両者はそのツールと言ってもよいだろう。

 

人それぞれにゴールは違うわけで、例えば、病気を治したい人と、お金持ちになって成功したいと思っている人。ゴール達成を願うという点では同じだが、方や、気功というツールでゴール達成を成就しようと考え、方や、自己啓発のカテゴリーに属すアファメーションでゴールを達成しようと考える。こう表現すると確かに違うツールではあるが、ゴール達成ということで両者をつなげることには違和感がないのではないだろうか。

 

そしたら、更に類似点を探ってみよう。

 

実は気功も、アファメーションもその効果が期待できるか否かはある方法論がうまく機能しているかどうかにかかっている。

 

それが、変性意識と言われるものだ。

 

気功もアファメーションも事前に必ず、変性意識状態をつくりだす。気功でいえば、まず深呼吸からはじめることだったり、アファメーションでいえば、朝起きたときや就寝前に行うことを推奨していたりするのは、変性意識状態を作り出さないとその効果が最大限に発揮されないからである。

 

逆にいうと、深い変性意識を生成することができたうえで、気功やアファメーションを行うと通常、難しいと思えるようなゴールも達成できてしまうというカラクリである。そのカラクリに変性意識は大きく関わっている。

 

ところで変性意識とは何か?

 

変性意識とは、認知科学以降の定義では、物理的現実世界(物理空間)以外、つまり仮想世界(情報空間)にリアリティがある状態をいう。ということは我々の意識はほとんどが変性意識ということになる。(ここではこれ以上詳しくは述べない)

 

ほとんどの意識が変性意識ではあるけれども、深呼吸で作り出される意識状態や起床後や就寝前の意識状態はある特定の意識状態であり、深い変性意識状態といってもいいかもしれない。この意識状態を作り出したうえで、気功やアファメーションをすると効果がある。

 

気功に限って言えば、気功自身がその深い変性意識を生成することにもなっている。

 

我々の意識はゴール達成を叶える上で非常に大きな役割をしている。この意識をコントロールすることができれば、ゴールは簡単に叶ってしまうのだ。

 

気功とアファメーションというテーマで話を進めてきたが、気功のカテゴリーには瞑想や、呼吸法や、ヨーガ、などの宗教的な修行などがある。自己啓発のアファメーションのカテゴリーにもあらゆる成功法則のような方法論がある。これらを結びつけるものが意識状態であることを覚えておくと一つ上の抽象度でこれらのものが読み解けるのではないだろうか。

 

いづれにせよ、ゴール達成の方法論がうまく機能するかは意識状態に深くかかわっている。

 

コーチングにおいても、アファメーションを教えているが、アファメーションを行う前にはまず、一人になれる空間をつくり、深呼吸を何度か繰り返し、通常以上のリラックス状態を作り出してから行ってもらいたい。逆腹式呼吸を知っている方はそれを何回か行うのでもよい。それで深い変性意識が作られる。

 

これにより、あなたのゴールが圧倒的に近づくことになるだろう。

 

Human head silhouette with focus on the brain

 

 

 

 

人は考えた通りの人間になる

 

「人は考えた通りの人間になる」この言葉はルータイスに教わった言葉だ。

 

丁度、私自身、色々な選択肢の中からどれにしようか、迷っていた時にこの言葉は気づきをあたえてくれた。

 

私はどのような人間になりたいのか。何が欲しいのか。どれが未来の自分にとってふさわしいと思うのか。このような思考をきちんとしないまま、なんとなくで選択をしようとしていた。

 

そこで私も考えを改め、私がなりたい私から、一歩も引かないという決意をしてから選択をすることに決めた。

 

人は考えた通りの人間になる。

 

なりたい私が明確であれば、それは現実になる。そしてその方法論がコーチングなわけだが、その前になりたい私を、妥協してはいけない。

 

これぐらいならなれるかな。とゴールを低く設定せずに、本当に欲しいもの、なりたいものを描くことはとても大事なことです。

 

妥協したら妥協した通りの人間になる。

高いゴールを目指し、それが私らしいと考えている人にはその通りの人間になっていくということだ。

 

これからは妥協をやめて、本当になりたいことだけを考えるようにしてみてほしい。

 

C00109-001G

ゴールを持てないのはホメオスタシスのせい。

 

ゴールが何かわかりません。という理由について。

 

ゴールを持つとは、たいそうなことなのだろうか。例えば、もしゴールを何でも一つだけ達成させてくれる神様がいたとして、そうドラゴンボールの神龍のような存在でもいい、いたと仮定しよう。その神様があなたのために何でもゴールを達成させてあげるといったら、「ゴールが何かわからないから結構です」と言うだろうか。

 

私は言わないと思う。いう人の気が知れない。それぐらい誰にでもゴールはあるに違いない。

 

ただ、ゴールは何ですかというシチュエーションやシーンによって、ゴールは本来のゴールからだんだんとかけ離れていく時があるのかもしれない。

 

どういうことかというと、小学生に学校で夢は何か?考えさせられ、それを授業中に発表させられたとしよう。もちろん夢を正直に言える子もいるだろうが、言えない子も理解できる。それはそのクラスの中には社会的な評価が必ずあってその夢を評価し、最悪な場合は否定するということまで普通に行われるからだ。すると本来の夢が社会的な評価の高い夢に変化してしまう。

 

それは夢とは言わない。社会の模範のカタチをその子が見つけ出し、表現しているだけである。

 

だから、コーチングにおいてもゴールはコーチにしか言わない。という鉄則がある。親でもあっても言ってはダメというぐらい、徹底して秘密にすることをすすめている。

 

このような体験がゴールがわかりませんという言葉に繋がっているかもしれない。しかし上記のように神様や神龍の話をすると急に色めきだって、ちょっと待ってと必死になって数あるゴールの中から最高のゴールを見つけ出そうとする。なんだたくさんあるんじゃん!

 

個人の心からこみ上げてくる、叶えば楽しい、うれしいゴールと社会的評価の高い立派なゴールとが、どこかですり替わってしまっている場合があるのかもしれないと感じる。

 

このような場合はうれしい、楽しい、誇らしいといった感情を呼び起こしながらゴールを探すのがよい。

 

そして次だ。

 

神様のようなファンタジーな話だとゴールが思い浮かんでも、現実にそのゴールを持って生きていこうとしたときに、やっぱり無理かなとか、今のままでも結構幸せだしなとか、現状を肯定するような気持ちが生まれてくる。これが現状に強烈に働いているホメオスタシスという現象である。現状に対して求心力のような力が働き、人が変わることを阻害する力である。

 

ゴールがわかりません。ゴールが持てませんというのはこのホメオスタシスの力が働いている場合が多い。

 

無意識が変化を拒絶し、現状を肯定して、安定状態を保とうとする働きである。

 

極端な言い方をするとゴールを持つとゴールが達成されてしまう。ゴールが達成されるとは変化するということだから、ホメオスタシスはゴールを持つというところまで影響を与え、ゴールを持たないように働きかける。

 

このことへの対処はわかりやすい。ゴールを持つことだ。

 

ゴールを持つことにホメオスタシスが働くというのは、恐らく、ゴールを持つとそのゴールが達成されると無意識が感じているのだと思う。こんな人はゴールさえ明確にすれば案外すんなり、達成されてしまうかもしれない。

 

ゴールはゴールを達成するということ自体も素敵なことだが、それだけではなく、自分の人生を自分の意志で生きていくために必要なツールともいえる。

 

我々の深い意味での目的とは自由意志の獲得なんだと私は思っている。

 

誰かに設定されたゴールに従ってズルズルと生きていくよりも自らが設定した、自由な選択で設定したゴールに向かって生きていく方がよくないだろうか。

 

そのためにも、とりあえずは今心からこうなったらいいなと思えるゴールを見つけ出してほしい。

 

goal

 

 

 

 

 

 

変化に過去は必要なし!

 

人が変わるとはどういうことだろうか。

 

まず、人格や性格などと言われるものは、過去の情動記憶が基となっているブリーフシステムである。このことを理解してほしい。

 

あなたが私の考え方や価値観と思っているものは私ではなく、私のブリーフシステムだということだ。人が変わるとはこのブリーフシステムが変わらなけれならない。

 

私は粕汁が嫌いだ。それは子供の頃に風をひいて、嘔吐を繰り返していた時に粕汁を飲んでまた嘔吐した体験があるからだ。それ以来、粕汁がどうしても好きになれない。たまに高級和食料理店でのコースの中に粕汁が入っていて仕方なく飲んだりするとおいしいと思ったりする。それでもやはり私は粕汁は嫌いなのだ。

 

私は粕汁が嫌いだから飲まない。というブリーフシステムなのである。これと同じように、特に子供の頃の体験が多いが、数えきれないほどの体験の積み重ねがそれぞれのブリーフシステムを作り出している。

 

ここで重要なポイントはこれらは過去の体験であるということ。

 

人が変わるとは未来に対して、過去の延長線上の時間軸の未来の自分から、自らがこうなりたいという時間軸の未来を新たに作り出して、そちら側にシフトするということである。

 

それは新しいブリーフシステムを作るという作業でもある。

 

しかし、過去の時間軸上の未来の私にはすごい力でそのままでいようとする力が働いている。過去のブリーフシステムを維持しようとする力である。

 

だから過去の自分は捨て去らなければならない。過去のことを過去のことだから関係ないやと思える人は比較的容易に新しい自分になることができる。

 

今日のブログはこれから、あなたが過去にこだわらない様に生きていくために書いている。

 

今日から過去にこだわるのはやめましょう。きっと爽快な気持ちで生きていくことができると思いますよ。

 

ちなみに時間はどんどん流れている。

 

今はもう過去。だから過去にこだわらないとは、今思っていることも一秒後に気が変わってもOK!ということだ。

 

どんどん変わろう。過去のブリーフは過去のもの、過去の価値観は過去のもの。変わろうとする人にとって必要なし!!

 

その代わりに新しいこうなればいいなと思う未来、こうあればよいなと思う未来をどんどん創り出そう。

 

自然と人工といえば、自然の方が聞こえはいいかもしれない。しかし、人の心は人工的に変えるべきだ。自然のままだと過去の延長の未来しかやってこない。人工的というより意志的の方がよいかな。

 

とにかく、あなたの人としての意思で未来を創っていくのだ。

 

このことを変わるという。

 

goldfish jumping out of the water

子供が親の職業や車を聞きあう社会

 

小耳にはさんだ話だが、タイトルのように子供(小学生)同士の会話の中に、親の職業やどんな車に乗っているのかが話に上がるようだ。私にその話をしてくれた人は、げんなりして話していた。

 

もちろん、その背景には親が周りにひとに対して、職業や年収でもって人を判断しているのだと思う。その価値観が子供にも影響を与えてのことだと思う。

 

最近のテレビでも年収やお金持ちの住宅をネタにしているものもあるので、子供がそんなことを言い出すのもうなづける。

 

とにかく、お金で人を判断するような社会ができてきているのは事実だ。そしてどれだけお金を持っているかで人に順位をつけるような社会ができてきている。

 

最低だ。

 

その話はひとまずおいておいて、気功の話をしてみたい。

 

気功の教えの中に「元神」と「識神」という考え方がある。「元神」とは先天的な意識のことで、人間の生まれつきの知恵のことである。自然治癒力や自然保護力などがそれにあたる。疲れたら眠くなったり、血圧のコントロールをしたり、病気やけがをしても自然に治ったりと人間がもともと持っている無意識の領域の力のことを指す。

 

それに対して「識神」とは生まれた後に勉強や経験で得られた知識の総括のことで、理性的な判断であったり、意識的な選択のことを指す。

 

現代的な表現でいえば「右脳」「左脳」とか「意識」「無意識」、「顕在意識」「潜在意識」といったところだろうか。

 

現代社会は特に理性の判断を大事にするところがあるように思う。それにより「識神」ばかりが活性化して、「元神」の働きが弱くなっているのではないかと思っていた。

 

その矢先に冒頭の子供の話を聞いたわけだ。

 

お金が欲しいと思う気持ちが悪いとは全然思わないが、お金のあるなしで人を格付けする社会はろくなもんじゃないと思う。

 

その子供が格付けしているかどうかまではわからないが、この出来事から社会全体を見回したときに、明らかに人が作り出した社会がお金のあるなしで格付けをする要素がある。

 

人間が頭を働かせて作ってきた社会は文明の発達を遂げたが、お金の欲望からは依然として離れることができていない。ましてやお金の欲望を大きくして成功させた人の方が礼賛されるような社会が出来上がっている。

 

「識神」が幅をきかせた結果なのかと私の中ではつながるのだがどうだろうか。

 

 

「元神」にはとてつもないパワーがある。そのパワーとは病気を治したり、気力、精力がみなぎる体になったり、夢を叶えたりと計り知れないパワーがあるのだ。しかし、「識神」が意識の司令塔の座を明け渡さないので、人間は「元神」のパワーは発揮されない。

 

気功は「元神」の力を発揮するための方法論だといえる。

気功の詳しい話はまたこのブログでもしていこうと思う。

 

とにかく、社会もそうだが、まずは個人がお金もよいが、それだけでなく心の安定、心の平和、心の充実を図る必要性があるのではないか。

 

そのように感じたのだが、あなたはどうだろう?

 

confusion

 

 

 

 

 

 

 

 

ネガティブを受け入れるポジティブ

 

ネガティブ、ポジティブについて考えてみた。

 

ネガティブとポジティブはプラスとマイナス、S極とN極、のように相反するふたつの概念と考えがちだ。

 

しかし、このように考えてみてはどうだろうか。

 

ポジティブとはネガティブな要素を包含した概念だと。

 

悟りの境地に行っている人以外は、誰にでも好き、嫌い、得意、不得意、などと同じようにポジティブな要素とネガティブな要素があるだろうと思う。

 

そのネガティブな要素を否定してポジティブな考え方をすることをポジティブシンキングと考えがちだが、ネガティブな要素を受け入れ、そんな自分を愛してしまう考えかたが真のポジティブシンキングだ。

 

私は人前で話すのが苦手だと思っているがいるとしよう。しゃべらしたらたどたどしいし、緊張するし。とネガティブに考えているとする。その人がポジティブになろうとしたときに、緊張せずに、堂々と、スラスラと話せるようになろうとする。大丈夫、私なら立派に話せる!と。

 

誰かに相談しても、その励ましは大丈夫、立派に話せるさ!というものだったりする。

 

真のポジティブとは緊張したっていいじゃん!たどたどしくたっていいじゃん!うまくしゃべれなくたっていいじゃん!である。それを受け入れたらいいじゃん!ということなのである。

 

そもそも誰かに何かを伝えるという行為はうまくできようができまいが伝わればよいはずだ。伝える内容が重要なはずなので、うまくしゃべれなかったら、紙に書いて読み上げてもよいし、全身、緊張の汗でビチョビチョになりながら話してもよい。

 

とにかく、ネガティブとポジティブには包含する一つ上の抽象度があるということを知ってもらいたい。

 

今回はそれに真のポジティブと名付けた。

 

やはりネガティブな考え方とポジティブな考え方だとポジティブがいいに決まっている。肯定的な状態でいることはとても重要なことだから。

 

しかし、ネガティブな対局に行くことでなく、ネガティブ要素を受け入れたうえで、それを超えたポジティブが本当に良いポジティブだと思う。

 

日本語で言い換えると、否定的感情を無視するのでなく、否定的な感情が自分にあると知る。そしてそんな否定的に思っていることも角度を変えてみてみると、なんだ愛せるじゃんと気づくこと。それが真に肯定的な自分の見方だということだ。

 

これで今日からのあたなは真のポジティブシンキングができる人になったはずだ!

 

そして、ここからもっと抽象度を上げていくと、肯定も否定もない、ただの関係性の集合である縁起の思想に到達する。縁起の話はまた今度。

 

Köpfe zusammen im Kreis

ゴール設定してもゴールが叶わないのはなぜか。

 

コーチングの理論を結構わかっている方からこのような質問をされた。

 

「変われないのはなぜですか?どうすれば変われますか?」と

 

コーチング理論をよくわかった上での質問なので「現状のホメオスタシスが強いから」などの理論的な答えではダメだろうと判断して考えた。

 

なので「あなたが変われないと言っているから」と答えた。このような応対はルー・タイスとその質問者との間でもあったことを思い出した。そしてルー・タイスの気持ちが少しわかったような気がした。

 

コーチング理論を学んだが結果が出ないという人は少なくない。それは理論を学ぶことと実践することとは全く別だから。それが一点。もう一つは理論が本質的にわかっていないから。

 

今回、感じたことはエフィカシーがわかっていないのではないかということだ。

 

エフィカシーが高いという言葉の意味である。

 

まず、コーチングにおいてセルフトークのコントロールを特に重要視している。この場合でいうと「変われないのはなぜか」という質問自体が「私は変わることができない」というセルフトークになるわけだ。なぜそのようなセルフトークが出現するかというとエフィカシーが上がっていないからといえる。

 

エフィカシーがあがっている状態では、ゴールのことしか目に入っていない。そしてそれができると確信している。「変わる」=ゴールであるから、エフィカシーが高い状態とは変わっているイメージしか持っていない状態なのだ。

 

エフィカシーが高い状態では「なぜ変われないか」という質問自体が存在していない。

 

なぜなら「変われない」とは、過去に変われなかったということだから。エフィカシーが高い状態とは未来のゴールを強くイメージできていて、叶うと確信している状態だから、過去に変われなかったことは、次に変わるためにはこの方法でななかったなぐらいの学びにしか思わない状態である。

 

この質問は言い換えると過去に囚われている質問なわけだ。

 

エフィカシーという言葉を学ぶ意味とは自分がエフィカシーを身につけるためである。エフィカシーを身につけるとはエフィカシーが高い状態の言葉を使うということと言ってもよい。それがセルフトークのコントロールということになる。

 

ブリーフシステムは長年の習慣により蓄積された価値体系だ。それはもちろん強烈なホメオスタシスでその状態を維持しようとする。

 

それを意識的に変えていく上でコントロールできるものは、ゴールへのイメージとセルフトークのコントロールしかないのだ。

 

だからこそエフィカシーの高いイメージを持ってエフィカシーの高い言葉を使い続けることが重要なんだ。

 

重要というか全てだ。

 

気を付けるのでもない。なりきること。そのイメージに馴染むまでなりきる。最初は気持ち悪いかもしれないが、いづれ馴染む。馴染むことが変わることなのかもしれない。しかし、馴染んだ時にはそれが普通の私。エフィカシーの高い状態が当たり前になる。その時にはまた次のゴールを探しにいっているはずだ。

 

エフィカシーは思っている以上に重要な概念である。ゴールの達成も変化が起こることもその原動力はエフィカシーである。エフィカシーなくしてそれらは期待できない。もう一度エフィカシーという意味を考えなおしてみてほしい。

 

そしてセルフトークのコントロールも高いエフィカシーを維持するためのものであることを覚えておいてほしい。

 

高いエフィカシーのあなたはどんなセルフトークをするだろうか。

 

Man turning the word "Impossible" into "Possible"

 

 

この世界に「しなければならない」ことなんて何もない!

 

まずはルー・タイスの言葉から

 

敗者のほとんどは、自分の人生を「しなければならない」だらけの状況で過ごします。何をやるにしても、自分の行動に責任を持とうとしません。

「しなければ」というたびに、個人的責任を放棄するだけでなく、自尊心も引き裂いています。「しなければならない」は、「これは本来の私ではない。誰かが私をコントロールしている」を意味します。「しなければならない」状況では、常に自分に「やるよ。でも、もし自分の好きにできるとしたら、別のことをする」と言い聞かせています。それは、「私は自分の意志に反して、強制的にこれをやらされている」ということです。

 

どうだろうか?多くの人にとって突き刺さる言葉なのではないだろうか。

 

自分のやる行動に「あ、あれしなきゃ!」というセルフトークを何気なくしていないだろうか。

 

ルー・タイスはその言葉を使うたびに、自尊心まで傷つけていると言っている。

 

思い通りの人生、ゴールを達成する人生を目指す人がこのブログを読んでいると思う。そのためには「しなければならない」ことを人生の中から排除していくことが必要だ。

 

(排除しなければならないのでなないですよ。排除したいですよ。何気に排除しなければならないというような思考をする人は今日から変えていこう。)

 

今から自分がどれだけしなければならないことをしているのか。またそのようなセルフトークをしているのかを見直してみてほしい。

 

そして、したいしよう。と思うことをするようにしてほしい。またしたい。しようという言葉を使うようにしてほしい。

 

もちろんやりたくないことをしたいという言葉を使うという意味ではない。自分が選択したということ自体がしたいことであるはずなのだ。

 

この世界に「しなければならない」ことなんてない!

もしあると思っているのならそれは誰かにそう思い込まされているだけだ。

この世界に「しなければならない」ことなんてない!

やりたいことがそこら中に広がっているのがこの世界だ。

楽しいことがそこら中に転がっているのがこの世界だ。

やりたいこと、楽しいことを片っ端からやっていくことが生き方だ。

人は生まれたいと思って生まれてきたわけではないし、死にたくないと思っていてもいつかは死ぬ。

 

しかし、生きている間に、やりたいこと、好きなことを選択して生きていくことはできるはずだ。

 

今日からそんな考え方で生きてみてはどうだろうか。

 

B

 

 

バイオパワーを超えて覚醒せよ

 

今回はバイオパワーについて。

 

フランスの哲学者ミシェル・フーコーがその自著「監獄の誕生―監視と処罰」の中でバイオパワーという概念を提唱した。日本語に訳すと生権力となる。

 

バイオパワーとは「監視下における自己規制をさせる力」ようは「誰かにかんしされているという暗黙のプレッシャーがあると、実際には監視されていなくても、監視者の期待するように行動させてしまう力」といえる。

 

フーコーはバイオパワーを説明するうえでパノプティコンを持ち出して説明している。

 

パノプティコンとは刑務所の設計構想であり「全展望監視システム」のことである。

 

監視塔を中心にしてその周りを360度円形にぐるりと囚人の部屋が配置されている。囚人の部屋から監視塔の看守は逆行により見ることができないように設計されており、逆に看守はいつでも囚人を監視できるようになっている。

 

パノプティコンの狙いは看守が360度見張る効果よりも囚人が見られているかも知れないという心理効果を与えて逃亡を防ぐということだったというのだ。

 

そして、そのバイオパワーは監獄だけではなく、集団や種というものを対象にする権力技術として使われるようになっていった。

 

そして権力側が用意した思想や規制に従って生きるように国民を仕向けていくということにつながっていく。

 

今の社会もこのバイオパワーがガンガンに働いているといえるだろう。我々は常に誰かに見られているかもしれないという心理を持ちながら、決断、行動しているのだ。

 

バイオパワーは例えば、夜中にゴミを出していたら近所のおばさんに怒られた。なんて場合にも同じように働いている。

 

次に夜中にゴミを出そうとしたら、あのおばさんがまた見ているかもしれない。と思いやっぱりやめておこうという判断をするような場合だ。

 

本当に見ているかどうかではない。本人が見られているかもしれないという心理が働くことによって行動が決まってしまうということである。

 

もちろんそのような状態では自由な意思決定をすることが困難だ。というより当の本人も、自分のやりたいことをやることよりも、社会が期待する思想、規制に従って生きる方が心地が良いと思っているので、自由な意思決定をしているつもりでもそれは権力者の思うがままの意思決定だったりするかもしれないのだ。

 

無意識の領域までバイオパワーは深く入り込んでいる。

 

そして睡眠中の夢の中で何かに追われているような感じがして目が覚める。などという体験がをしたことがないだろうか。

 

しかし、そんなことも忘れて、また権力者の期待に応えるかのように、誰かに見られているかもしれないと思い、正しくあらねば、規制に従わねば、と無意識の判断を繰り返しながら生きている。

 

本当にやりたいことを見つけ、真の自由を手に入れるためにはこのバイオパワーに気づき、超えていく必要がある。

 

バイオパワーを超えて覚醒することの重要性はこの現代社会でも変わらないと思う。

 

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