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ゴールは絶対下げちゃダメ!

苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ

 

ゴールを下げない大切さ。

 

人は年齢と共に、ゴールを追いかけることをやめたり、ゴールを下げたりする。

 

この場合の年齢はたとえ、20歳だとしても、10歳のころにかかげた夢をあきらめたりすることを含んでいる。老齢だからという意味ではなく、若くしても月日が経つとなんとなくゴールをあきらめる傾向があるように思う。

 

だからこそコーチングは重要なのだと思う。

 

人は自然にまかせていると、なんとなく生きているとゴールをあきらめたり、ゴールを下げたりしてしまう。

 

これは生体として安定したいという欲求に負けてしまうからだろう。ほっときゃ人はコンフォートゾーンの中で安住しようとする生き物なのだ。

 

ごくごく簡単にいうとこれが多くの人がゴールを達成できない理由の最大の理由であると思う。

 

コーチングが重要であるというのはコーチングを受ければゴールは絶対に下げさせてはくれないし、ましてやどんどん上げていくように促される。

 

それにより、ゴールは達成されてしまうし、何事もない日常を生きる人生からアドベンチャーのようなワクワクに満ちた人生を歩むことができるようになる。

 

現状で安住するか

 

ゴールに向かって苦しいかもしれないがワクワクの人生を選ぶか

 

これはゴールを下げないことがとても重要なのだ。

 

もちろんゴールがない場合であればゴールを持つことが先になるのだがほとんどの人は子供の頃には何らかのゴールを持っていたはずであり、生まれて全くゴールを持ったことがないという人は逆に少ないと思うので、そういった意味ではやはり、ゴールを下げない。どんどんと上げていくことを強調してよいだろう。

 

生きていくと色々なことが起こる。当たり前だ。そんな人生の様々なケースにおいてこのことを思い出してほしい。何があってもゴールは下げない。上げる。

 

下げる言い訳などはいくらでもあるだろう。それでも下げない。絶対下げない。

 

極端に言えばゴールが達成されるか否かはこれだけだ。

 

ゴールは諦めない限りすごい高い確率で達成される。時間の問題はあるかもしれないがあきらめなければ達成されるものだと理解してほしい。

 

変わることはよい。ゴールはどんどんと変わっていってもよいのだが、上げていく方に変えていくようにしよう。

 

ゴールは絶対下げない。

 

今日はこれが言いたかったことだ。

 

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我々は言語に束縛されている。

苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ

 

私たちは言語空間に住んでいる。

 

このブログでも情報空間と物理空間とに大別して色々と説明してきているが、言語とはどのような位置づけだと考えればよいだのだろうか。

 

もちろん言語は物理ではない。人の脳内での情報処理の中で使われたり、人と人とのコミュニケーションにおいて使われたりするので情報空間に属すことは当然のことだ。

 

言語の宇宙を言語空間と名付けたときに、情報空間の中の言語の世界が生まれる。

 

その言語空間の中に我々は生きている。

 

どういうことかというと、例えば法律とは言語で規定されている。赤信号で止まるのは法律で止まるように定められているからだ。そして裁判も言語のやり取りで判決がくだる。人と人との間の喧嘩も言語を使う。知識の伝授、すなわち教育も言語を使って伝達する。

 

当たり前と言えばそれまでだが、我々は言語空間に生きているのだ。

 

そして驚くべきことに、その言語の制約は西洋社会から生まれている。

 

我々は何気なく言語を使うが、無意識の領域まで深く、深く言語により束縛されている。しかしそれに気づいていない。

 

もちろん、しつけや教育は言語を通して行われてきているので当然である。

 

西洋から生まれた契約の概念により、この世のあらゆるものが生み出されており、言語を通して我々東洋の日本人にまで深くある思想が浸透している。

 

コーチングはWANT TOで生きること、自由で生きることの提案をするが、思いの他言語により束縛されていることに気づかず、悩む人が多い。

 

色々な束縛を外していかなければならないのだが、中でも無意識の中に深く浸透している言語による束縛にも目を向けてみよう。

 

なぜ赤信号で止まらなければならないのか。

なぜ目上の人がえらいのか。

なぜサラリーマンはスーツを着なければならないのか。

なぜ結婚するのに婚姻届が必要なのか。

 

などなどこの世の疑問は掃いて捨てるほどあるが、これら全て言語で表現されるものだ。

 

言語宇宙を徹底的に見ていくことにより、スコトーマはどんどんと外れていくことになる。

 

なのでおすすめしたい。

 

しかし、徹底的に知識を入れていく以外に道はないので最終的に勉強しようという帰結になってしまう。子供も大人も勉強をしないといけない理由である。

 

Ancient Greece : Philosopher Writing

4月16日セミナー終了報告

 

苫米地式コーチ 山本敦志です。

 

4月16日に「悩みを幸せに変える方法」というテーマで芦屋市内においてセミナーを開催し、無事終了しました。

 

25名の定員でしたが、参加者は定員に達し、会場満員の状態となりました。参加した皆様ありがとうございました。コーチングへの興味は芦屋の地でも拡大していることを身に染みて感じる一日となりました。

 

このセミナーで私自身とスタッフを含めた会社としての反省点とその後のマインドの扱い方を少し考えてみようと思います。

 

会場が満員となったところまではよかったのですが、私も定員オーバーのセミナーははじめてのことであり、会場の選択等、想定していたものとは違っていました。そのせいもあってか、場の緊張状態を解くことにおいてはうまくいかなかったと実感しています。

 

コーチングにおいてリラックスすることはとても重要なことであり、リラックスしているからこそ脳も活性化し、吸収できるものも多くなります。

 

この場合、私のうまくできなかったことになります。そしてそれは私の気づきです。しかし、それでエフィカシーをさげてはいけないので、このような場合私は「私らしくない」「我々らしくない」と考えます。

 

セミナーでもお話しした、時間は過去から未来に流れているのではなく、未来から過去に流れているということ。過去の失敗やうまくいかなかったことはどんどんと過去に流れていく。大事なのは未来のゴールに何が欲しいのか。どうなりたいのかを定めて、その未来のゴールだけにロックオンしていくことです。

 

だから、私は「次はこうしていこう」という強いイメージを持っています。場をリラックスさせることを臨場感を持ってイメージします。

 

今回のセミナーから次の勉強会に多数の参加者が来てくれるようですので。次の機会は共にリラックスした状態で、我々の中に秘めた可能性をどんどん引き出していきましょう。

 

過去の失敗やうまくできなかったことは次へのゴールを生み出し、ゴールの臨場感をより鮮明にしていきます。だからこそなりたい自分への挑戦を恐れず、どんどんとやっていきましょう。

 

この度はセミナーへの多数のご参加誠にありがとうございました。

 

そして第2弾勉強会を皆様と共におこなうことをこころより楽しみにしております。

 

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4月16日(土)セミナー開催報告

苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。

 

4月16日(土)に「悩みを幸せに変える方法」というテーマでセミナー開催します。

 

コーチング理論の基礎的な部分をわかりやすく説明するセミナーです。

 

コーチングに興味をお持ちの方や、コーチングを一度知ってみたいという方にはとても良い機会になると思います。

 

是非お越しください。

 

セミナー情報詳細はこちら

 

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過去に生きるか、未来に生きるか、選択の問題である。

苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ

 

人生において成功するか否かは選択による。

 

人生観というものがあるなら、それは大別すると二つに分かれる。未来志向か、原因論か。

 

原因論から考えてみよう。

 

現在のあなたの状態が自分が望んでいる人生ではないと思っているとしよう。そしてその理由を考えたときに原因論の思考によれば、「私がこのような人生になったのは過去のあの出来事が原因である。過去を変えることはできないのでこの人生を受け入れるしかない。そして現在のこの状態は過去の結果であるから変えることができない。だから未来も希望をもつことができないのだ。」

 

このような思考体系ができあがる。

 

しかし、少し考えてみよう。上記の人と同じ境遇で生まれた人の中で成功者が出るのはなぜだろう?世の中には過酷な境遇に生まれながらも大成功をおさめた偉人は多数存在する。

 

それはその人たちの思考体系が未来志向であったからに他ならない。

 

未来志向の思考をすれば過去など問題にはならない。未来志向の人にとってはその欲しい未来にとって重要ではない過去は存在もしていないだろう。これはスコトーマの原理である。しっかりと未来を見据え、その未来が必ず達成されると確信している人たちにはその未来にとって重要であることしか見えないのだ。だからこそチャンスをしっかりと捉えることができるのだ成功の階段を上っていくことができる。

 

原因論の人たちは成功する人はもともと成功する人だったんだ。一般人とはもともとから違うんだと解釈しがちである。

 

しかし、違う

 

それは過去を引きずって生きていく選択をしたか、未来志向で生きる選択をしたかの単なるその人の選択の問題である。

 

人はだれでも、今すぐにでも変わることができる。

 

過去に何があったかなどどうでもよい。

 

未来に何が欲しいか。

 

その未来が達成されると確信できる人だけがその未来を手繰り寄せることができる。

 

過去をみるか

 

未来をみるか

 

選択の問題である。

 

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スケジュールを入れるとHave toになる。

苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ

 

あなたはスケジュール帳を持っていますか?

 

やりたいことを考えてみて、みつかった。今度あれをやろう!と思い友達と約束をする。そしてスケジュール帳にやりたかったことが記載される。

 

そして当日、朝起きてみるとなんだか気乗りがしない。でも、自分がやりたかったことだし、約束もしちゃったし、行かないといけないよね。なんて考える時はないですか?

 

このシチュエーションはWant toなのかHave toなのか?

 

答えはHave toです。

 

この場合、スケジュールを立てたことがHave toの原因だと思う。

 

もともとはWant toだったとしても、人は刻一刻と変わっている。やりたいことだって刻一刻と変わる。

 

だから、大事なのはその時その時を大事にすることだ。今何がしたいのか。そして今したいことをどんどんやっていく。やりたいことを先延ばしにしない。

 

そしてなるべくはスケジュールはたてない。

 

理由はもちろんスケジュールをたてるともともとやりたかったこともHave toに変わるからだ。

 

仕事や、友人関係など、対人関係において100パーセントは難しい。しかし、スケジュールが少ない中でその時、その時、気が向いたこととしていくことをしていく。

 

Want toで生きていくにはとても大事なことなので少しでも心がけてほしい。

 

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現状維持というゴールが達成されないように!

 

人の認知とは必ずスコトーマが生まれる。

 

認識することとスコトーマとは同じといってもよい。認識する対象がある。そのものを認識したらそれ以外のものがスコトーマとなる。認識すると同時にスコトーマができる。そして見えているものが価値観をつくりだす。見えているものこそが価値になる。それがブリーフシステムである。

 

我々はブリーフシステムどおりに認識する。ブリーフシステムこそが私だとさえ思っている。しかし、このブリーフシステム、実はほぼ100パーセント、自分ではない第3者から刷り込まれたものなのだ。思いかえしてみてほしい。自分の価値観と思っているものの出所を。

 

ほぼ100パーセント親や教師や世間に刷り込まれている。親や教師や世間の価値を自分で受け入れたときにブリーフができあがる。もう少し詳しくいうとそこに情動記憶がのってブリーフができあがる。

 

ここから脱出したい。

 

親や教師や世間から刷り込まれたブリーフを捨てて、本当に自分が心から望むブリーフを手に入れたい。

 

それにはゴール設定である。

 

現状では達成不可能なゴールを設定することにより、方法論としてはそれだけが我々を本当に望むブリーフに導いてくれる。

 

もし、このゴール設定をしなければ現状維持というゴールが設定される。

 

ゴールは設定しなければ、ないと思うかもしれないがそうではない。ゴールを設定しなければ現状維持というゴールが設定され、現状が続いた未来へと導く。

 

目の前にある世界は現状である。そして目の前に見えているものの未来が達成されてしまう。具体的にいうと、会社の平社員であれば係長、課長、部長の姿を認識している。そしてそのうちのどれかの未来を選び取って達成してしまう。係長になり、課長になり、部長になっていくという未来は実はすでにあなたの目の前にあり、ゴール設定しなければ、今現在見ている世界が未来に達成されてしまうということである。

 

もちろんそれで私は満足という人もいるかもしれない。

 

しかし、冒頭で述べた、ブリーフシステム。

この未来は第3者から刷り込まれたブリーフの世界だということだ。あなたが選んだと思っているかも知れないが第3者に刷り込まれたブリーフが選び出した未来であってこころからあなたが望んだ未来ではないのではないか。

 

だからこそ現状の外にゴール設定をすること、若しくはそのゴールを考える、思索するということがとても重要なことなのである。

 

我々は行きたい人生を生きることができる。

 

しかし、それは自らのゴール設定という行為抜きにしては達成されることはない。

 

make your choice

コーチングとはなんなのか?

 

コーチングという言葉が結構、普及してきたような気がする。

 

しかし、まだまだ、コーチングという本当の意味が理解されているようには思わない。

 

ルータイスと苫米地英人博士が作り上げてきたコーチングという本当の意味を考えてみたいと思う。

 

世の中には色々な職業がある。しかし中でもコーチという職業は稀有な職業だと思う。

 

金銭のやり取りがあるような職業は、ふつう自分が欲しいものを手に入れるために何か人に依頼することによって成立する。

 

たとえば、医者なら病気を治してほしいという依頼にこたえる。弁護士なら紛争を解決してほしいという依頼にこたえる。工務店は家を作ってほしいという依頼に答える。学校や塾の先生は知識を教えてほしいという依頼にこたえる。

 

ほとんどの職業はクライアントの目的が先にあってそれを叶えることが仕事である。

 

ではコーチングという職業はどうだろうか。

 

コーチングの目的はクライアントのゴールを達成してもらうこととゴールを設定することが仕事となる。

 

何が違うのか?

 

コーチング以外の仕事のほとんどはその人に代わって代理で仕事をしてくれる。

 

しかし、コーチングはあくまでもクライアント自身が変革するためだ。変わったクライアントがゴールを達成する。自分自身が行動をする側である。先ほど例にあげた職業は行動するのは相手側だからこの点で大きく異なるといえるだろう。

 

行動するのがクライアントなら一体コーチは何をするのか?

 

コーチはクライアント自身でゴールを達成しようとしたときにおこる障害を取り除く。人は自分自身の無意識の行動を全てコントロールはできていない。恐らく相当できていない。ゴールを達成しようとしたときにおこっている無意識の領域の世界を認識できていない。コーチはクライアント自身では気づいていないゴール達成への行動を阻害しているものを取り除く。スコトーマとなっているものを見つけ出し、見せてあげる。

 

コーチングとはそういうものであり、コーチの仕事とはそういうことである。

 

 

コーチングとはクライアント自身がゴール達成への行動するうえで、一人ではできないことのお手伝いという仕事である。だからゴール達成という仕事をするのはあくまでもクライアント自身。しかし、よくよく考えると当たり前だ。ゴールや夢は自分自身のものであり、自分自身で叶えるから意味のあるものである。

 

ただ、今までは科学的に、また職業として、そのお手伝いをするという職業は存在していなかった。その役割を担っていたのは親や教師や友人であったかもしれない。ただ、親や教師や友人は、コーチングのトレーニングを受けて親や教師や友人になったわけではないので、ゴール達成のお手伝いができるわけがなく、彼ら自身の思想を刷り込むことになり、かえってドリームキラーとなっていた可能性が高いと思う。子供に関して言えば、その影響で夢なんてかなうものではないという一般的な思想ができあがっていたようにも思う。

 

しかし、現在はコーチングはルータイスと苫米地英人により職業として生み出され、多くの人がコーチングという言葉は少なくとも知っているような時代になった。その背景には心理学から認知科学までの心を扱う学問がかなり、発展を遂げたという事実があるのは確かである。

 

私はこのことをとても画期的なことだと思っている。

 

自分自身の人生は思い通りに描くことができるという発想が人々のこころに根差し始めているのだから。

 

まだまだ誤ったコーチング理論や偽物コーチがあちこちにいる。しかしそれもコーチングの広まりがあってのことなので良い時代の到来の兆しなのかもしれない。

 

私や私のコーチ仲間はルータイスと苫米地英人博士から直接本当のコーチングを伝授された数少ないコーチであるから、このことをきちんと自覚して多くの人に本当のコーチングを知ってもらうために活動していこうと、書きながら強く思った。

 

Happy kid playing with toy airplane

馬鹿という人こそ馬鹿である。

 

今日は知識について考察してみたい。

 

俗に馬鹿というやつが馬鹿なんだ!なんて言葉をよく耳にする。今日の説明もこの言葉の証明といってもよいかと思う。私も馬鹿というやつ、若しくは自分を賢いと思っている人ほど馬鹿の可能性が高いと思っている。

 

それがなぜかということだ。

 

この宇宙は物理宇宙と情報宇宙から成り立っている。古来。この宇宙のカラクリを解き明かそうと人間はチャレンジしてきた。その成果が様々な学問として伝わっている。それを学んでいく機会を設けることを教育と呼んでいる。

 

私たちは教育を受け、また様々な経験をしてこの宇宙のカラクリのほんの一部分を知っている。知っていることが知識にあたる。

 

この宇宙のカラクリを全て知るということは全知全能の神を目指すということになる。私たちは何もそこまでいきたいとは思わないまでも、そんな存在になれたらななんて憧れを抱く。

 

知識とは一般的にはあると賢いとみなされる。

ないと馬鹿とみなされる傾向があるように思う。

 

しかし、知識がある人に限って、自分を賢いと思っている人に限って、知りたいという欲求が少なくなってくる。

 

逆に知識がなくても知りたいという欲求を持っている人は成長をしていく。

 

そのように考えると知識があるからよい、ないから駄目だとは簡単に言えないことに気づく。

 

この宇宙ははるかに巨大な情報宇宙であって、全情報を知るとことはとんでもなく難しい。仏教用語でいえば、空を知る。悟るということだ。それは至難の業である。

 

私たちの場合の知識とはその巨大な情報宇宙の中のほんのほんの一部分を見ることができるだけの知識ににも関わらず、それを賢いと思って、学びをやめてしまえば、そのほんのほんの一部部の情報宇宙が全てだと思う、お山の大将となってしまう。

 

そちらの方が馬鹿と呼ぶにはふさわしい。

 

コーチング的にいえばコンフォートゾーンの中で偉そうにしているやつになってしまう。スコトーマだらけの人間になってしまう。私たちはコンフォートゾーンの外にゴールを設定するというルールを知っている。そしてゴールが近づくと新たなゴールを設定するというルールを知っている。

 

ゴールが近づくと新たなゴールを設定するということをよく考えてみると、永遠にゴールを目指しているという状態である。すなわち死ぬまでゴールを追いかけているということになる。

 

知識もそうでずっと学び続けることが大事なのだ。

 

決して、知った気になってはいけない。

 

知った気になった段階で馬鹿になる。

 

私たちは巨大な宇宙を探求していくが、その宇宙ははるかに巨大だ。簡単に到達できる場ではないが歩んでいく。知るために歩んでいく。全てを知ることができずに終わるかもしれないがそれでも知るために歩みを止めない。

 

私も昔は大馬鹿野郎だったと思う。臆病なくせに自分を過信し、限られたコンフォートゾーンの中で偉そうにふるまう人だった。だからこそ今は馬鹿にならないように心掛けている。全てが学びの場であり、そこには自分のスコトーマに隠れた新しい情報があるのではないかという視点を常に維持できるようにしている。だから多くの人や物は私に新しい情報を与えてくれるので、常に新鮮で感謝である。

 

私たちは馬鹿にならないために無知に気づかなければならない。

 

そして少しづつでも成長していくことが喜びである。成長に向けた歩みそのものこそが喜びなのである。

 

up up away

 

 

 

 

 

セミナー開催すると恐れられた。

 

私がコーチングセミナーを開催したときのはなしだ。

 

セミナー会場は市の公共施設を借りて計画していた。するとそのセミナー会場の受付に連絡があり、私が開催するセミナーは洗脳されそうで怖い、そんなセミナー開催させないで欲しい。と言われたらしいのだ。

 

当時はコーチになってまだ間もない頃で、セミナーも初めての開催であった。だから私自身がドキドキし、きちんと話せるだろうか、興味を持って聞いてくれるだろうか、などとこちらが相手の評価を気にしていたころだ。(もちろん今では気にしなくなったが。)

 

私はそれを聞いて唖然とした。なぜ夢を叶えるための方法を教えるセミナーが怖いのか。

 

もちろん、私の師である、苫米地英人はオウム事件に関わったし、洗脳研究についての第一人者である。

 

しかしそれでも、コーチングのセミナーが怖いとは理解できなかった。

 

セミナーは大絶賛され、来てくれた方は大いに喜んでくれて、またセミナーをするときは案内をくださいとのお言葉をいただいてとてもうれしかった。しかしそういってくれる方の陰には参加せずにうがった見方で見ている人も多数いるのだと知った。

 

夢を持つ、夢を叶える方法論があっても、多くの人はそのことを知ろうとはしない。だから叶えることができないのはもちろんのことだ。

 

今のままがいい、何も変化がないことが平和、だと考える人がとても多いのだろうと思う。そして変化を促そうとする人を毛嫌いする。

 

しかし、それでよいのかと強く思う。それで生きていると言えるのか?

 

我々コーチは人に生の喜びを感じれるようにもっともっと活動していく必要があるように思う。

 

やはり、夢があって、ゴールがあってこその生の喜びである。

 

ルー・タイスと苫米地博士に教わったことはたくさんあるが、要約するとそれに尽きる。

 

私はこれからもあなたに生きる喜びを感じてもらえるように活動していきたいと思う。

 

宜しくお願いします。

 

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